桜の中の能 桜能は想像力を試されている!

原始的な能から何も変わっていない

脳ではなく。これを同じ読み方をした日本人は凄いですが。

何度か能は見たことがあるし、芸術祭があったときの奈良で、たき火をたいた真っ暗な夜に訪れた 猿楽をみて感動したことがあります。

特に猿楽は能の原点とも言えるもので、結局は田植えとか神さんを喜ばせるとか、宗教的なものとたっぷりリンクしていることが解ります。

 

桜と能との相性はぴったりです。

世阿弥が彼は一子相伝の書で、美しい物、はかないもの、新しいが花といった表現をしましたが、変わり続けることが 新しい花を咲かせる秘訣だと言いました。

そして、見えないものを他人に見せることの難しさを 幽玄という言葉に表しました。

桜の散り行く刹那こそが 風の姿と相まって もっともはかなく 美しい。

日本にはハレ祭りと日常が交互に訪れる節分という文化がある

祭(まつり)とは 身を清め 真心を天と釣り合わせること

 

心が貧しい人

キリスト教 聖書では、山上の垂訓は幸福な人と表現されますが、これは何でも吸収する,聞く耳を持っている乾いたモードになっていると言うことで、感受性のことは言っていません。

が、山本能楽堂さんの挨拶を聞いて、1を聴いて10を知る人は少なくなったことを理解しました。相手の眉間をみて、苦労してきた人だとか、すこし話しただけで、相手の立場に寄り添える技術と、想像力豊かにものを見ることは同等だと思っています。

つまり、赤白の垂れ幕をみて、日本の駿河湾や全国の海峡などを想像できる人は、古き良きお寺のお庭で表現された海や川、せせらぎや、月、太陽、あらゆる自然を表現した描写を理解できる人だと思います。

一方で、見たまま言う人は、恐らく動物的。腹が減った、金儲けしたいが先にくれば野獣のごとく、赴くままに向う。商売は何でも良い。なんなら奪えば良い。まさにグローバリストがやってきたことと一致します。

だから橋下徹、維新、竹中平蔵など、大阪の文化を理解できず音楽団体や芸能など容赦なく補助金を切りまくることが出来る。つまり日本人のわびさびを理解できない人が要所要所にいて日本を破壊しているということ。

そういう目線で、天女の羽衣を見ると、見え方が変わるかもしれません。(手持ちカメラがダメダメですが)

コメントを残す