避暑地で癒され 頭がスッキリする

都会にいると

雑踏はあっても、鳥の声風になびく木々の擦れる音など、ほとんど聞こえず、日々を通り過ぎる毎日を送る人も多いかと思います。改めて自然豊かな場所に自身の身を置くと、その違いが鮮明に見える時があります。

どんなに優れた百戦錬磨の経営者でも、決断に迷う

 

昔の武将も神様と言われる経営者も・・・・そんな時何をするか

結局は、理論を尽くしてもは2択以上は絞れず、自分でそれを決断するしかないのだけれど、ある人はお寺で坐禅を組む、あるいは山にこもって答えを見つける師匠に相談するといった、その人なりの、解決法を持っていると思います。

同様に、山にこもるも、坐禅を組むことと、自然豊かな場所で聞く、鳥の声、風の音は、いわゆるアドバイザーというか、師匠というのか、天の声のような役割があるのではと思うのです。

 

結局人は、自然に生かされていて、共存共栄している

天災が起こった時にしか、それを意識しないのは良くないと感じています。コロナが茶番人災だとしても、ある種、自然界を界しているわけで、人間がアナログである限り、共存を意識しなければ、うまくやり繰り出来ないのだと思います。

ある種、生死の境と同様、生きている人が死ぬことを意識すべきところを、意識しないから、適当に生きてしまう、まるで犬猫のような動物的な行動しかしなくなる不幸と同様のミステイクだと思えるのです。

 

馬車馬のように働くこと

話を元に戻して、休みなく働くというのは、一見、誰よりも前に進める最短コースのように思えますが、脳は疲れ、体は疲労するわけで、本来のパフォーマンスが出せなくなります。

適度に休みをとることも、良いサイクルを産むための必須ステップであり、人ならではのまっとうな行為だと確信しています。

衣食住が安定してこそ、人のお役立ちができるわけで、まずは自らの精神や肉体の安定こそが、良い仕事が出来るんだと確信した週末になりました。

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