with コロナのコンサートを拝見して思うのは
やはり神聖な場所や、文化的な施設の前での演奏は、オフィス街とは一味違います。
京都や奈良の神社や仏閣、歴史遺産の前での撮影は、そもそも絵になりますが、この大阪でもそれなりの雰囲気があります。
特にゲリラ的な街角のコンサートとなると、偶然見つけた見知らぬ人が近づいてきて、ほっと一息入れたり、口ずさんでいるところを見ると、とても和やかで、プレーヤー、司会、主催者などの現場との一体感が生まれます。
音楽=神楽(かぐら) 神さんへの奉納が原点
個人的にはかつて人を集めたチンドン屋さんと、クラシックなんかが合体しつつ、ZOOMで音楽を見る人に届けながら、ネット集客していく時代もきそうだと思いながら、耳の安らぎと管楽器の音色を楽しんでいます。
あらためて思うに、都構想やカジノ、水資源の売却など竹中平蔵や維新の政策は、世界の資本家から依頼を受けたCSISなどの犬としての動きですが、彼らが進める経済発展のためといいつつ、文化的なものを廃止し、合理的に海外から奪いつくす動きは、ただただ国を壊すだけ。
それが目的とはいえ、まるで、巨大なブルドーザーで海をさらって周辺の魚を取りつくすように、一次的にはプレーヤーが儲かるかもしれないが、そこには何も残らない不毛の土地を残すことになります。そしてまた新たな場所を見つけるという無駄なサイクル。神道仏教的には、悪因縁を産み続けてあの世で地獄を体験して苦しむという修行の悪循環。
むしろ漁師が魚の摂取量を制限するように、また海の資源を潤沢にして魚を増やすため、山に登って植林する様に、長い目で全体を良くする活動をする方が、結果、みんなが永続的に繫昌します。「北風と太陽」の力業 北風しか出来ない バカは死ぬまで解らないマイケル・グリーン、リチャード・アーミテージやジョセフ・ナイ。