大阪商法会議所設立に関わった五代友厚

ちょくちょく出向く産業創造館ですが、300円の入場料のところに赤文字が目に入る。どうやら大阪起業家ミュージアムが本日無料ということでお昼の1時間立ち寄る。

大阪取引所の名が書かれた非売品のポストカードセットをもらいました。

wikiによると、かつて東京が”ひがしの京”になる以前に、大久保利通と五代友厚が大阪遷都を訴え、この話は、ほぼ実現しかけたようでして・・・ほんと世の岐路は、いくつもあって、ひとつボタンの掛け違いで結果が180度違うというのは、面白いものです。

もっとも現代の大阪維新 松井市長の政策は、カジノや汚染水の大阪湾排水問題など、庶民の安全や漁業破壊に繋がる悪政ぶりですから 小物ぶりが立っていますが。

元に戻って...五代友厚さんの最後は、100円?の借金を残して亡くなったとされているようで、いくらでも儲けられる立場にありつつ、大阪の商工業の発展に最後まで寄与した本物の人物だったのでしょうね。

十字架マークでおなじみの島津出身(島津一族のルーツは一説に秦氏)でかつイギリスグラバーとの関係、国内実業家たちの一致団結と意見交換の場を作ったことから、富の方向性をディレクションできる分、フリーメンソンだったような気がします。

問題はどれぐらいの富が海外に流れたかですが、生麦事件だけで賠償額は30万両(90億円)?とも言われているからはたして...まぁそんなことはどうでもいいぐらい近代化の功績はとても大きいと思います。銅像になるぐらいすごい!

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