キャッチコピーな闘い

三嶋大社とか三河と聞くと、苗字の頭に”三”が付くだけになぜか身近な感じがしてきています。

やはり告知、広報手段について、絵(ビジュアル)でのキャッチは必須だとしても、振り向かせた後の肝心要な伝達には、伝わる言葉が必要です。もちろんアクション手段もですが。

と思って車を走らせていたら、お土産屋さんで高さ20cmを超えるようなホルマリン漬け?なインパクトある大型ワサビが現れ、ビジュアルの凄さをリアルに魅せつけられました。

と同時に文部科学省指定スーパーグローバルハイスクールとか魂の発見(高橋圭子)とかの巨大文字に出会って、ちょっとやりすぎ感を感じ、前者はスーパーとか、グローバルとか、誇張すればするほど、超高級ノコギリとか、北のトップの行動を誉める現地アナウンスのように安っぽく、うさんくさくなるのだと、学ばされた次第です。

手塚治虫さんと仕事

した人によれば、先生は言いたいことを線とストーリーで伝えるのが仕事、しかも自身が言いたいことを主人公にストレートに言わせるのではなく、閲覧者にそれを感じさせるようにするのがプロだと言っていたようで、チラ見せは良くてもモロは食いつかない証を得たような気がします。

画家の閲覧者が観ることで絵は完成する。映画監督の閲覧者の感情で内容が変化する に近いのかもしれませんね。

例えば上記看板なら、「神道的に言うと人には肉体の親と魂の親がいて、魂の親からやるべき使命と実行する技能を受け継いでいるからこそ、自身がやるべき道を早く探し出す必要があるのです。」または「 アラタマ、ニギタマ、サキタマ、クシタマって知ってますか?」・・・みたいな車の信号待ちでハットするキャッチが必要なのだろうと思います。読んでないので本書の中身は知りません。念のため(笑)

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