人間は木と一心同体?

木を切ることで生計を立てている人と共に現場に入ったこともあり、人は木が恋しくなるように森も木を必要としていると心底思うわけです。

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大和言葉は生命のハレと、ケの関係を植物で表していた

血=地、口=朽ち、目=芽、鼻=花、耳=実*2、性根=根、気=木、穢れる=木枯れる、華がある=花がある、といった風に生命活動や現象を表す言葉が多く、ひとつのひらがなでたくさんの横断した意味を持っていたのが、漢字に置き換えられたことで、別物になった。この結果、本来の意味が遠のくこともあって、残念だなあぁと思います。

植物とは直接関係はないけれど橋も箸も柱も「はし」(つなぐもの)として共通の意味を持ちます。食べ物の箸は命をつなぐ、両側がとがっている箸は神さんと食べる、という深い意味もあります。

先祖からの意思を継ぐという意味の、ちち=乳=父=地*2、血*2のように、地は動植物のエネルギー源であり、さらに父親からは意思を継ぎ、母親からは乳を得るということで、次世代にリレーしていくようなメッセージはとても心に深くささります。

そもそも漢字が入ったことで、良いこともあるのですが、生命に関する生きた言葉が活力を失ったのも間違いありません。穢れすら死ではないので、また蘇るのです。

 木に手をあてると、パワーをもらえるように、何百年も生きた木は聖(ひじり)=日知り なだけに、なんでも知っているという訳ですから、やはり共存共栄、家づくりに使うことで外気との温度調整をしながら、人間を住みやすくしてくれるのだと思います。森林伐採のやりすぎはよくないけれど 現代のように切らなさすぎると大きくなりすぎて自然の循環を壊すということ。

 

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