未解決の社会問題は山ほどある

五体満足に生まれ、字もかけてそれなりに人の言うことを理解し、ものを考えられる立場にあるなら、最後はやはり社会問題のために働くべきだと、師匠含め、周辺の尊敬する人の動きを見ていて強く思います。

ニートなど自分のためにすら動かない人もいるようですが、やはりかつてのドクター中松が生んだ醤油ちゅるちゅるのように、身近な不便が強い信念と行動力を産むことを想うと、今はあまりにも困ったがなくなりすぎたのかと環境に対して残念に思うこともあります。

動画とプレゼン資料で社会問題にアタックこれはリスクを取らない銀行や、大企業がなりふり構わず、小企業の仕事までを取るようになった連鎖だったり、新しい芽を出したベンチャーをビジネス丸ごと手に入れる仕組みやそれを売るEXITだかイクジットだとか、ガチャや、訳の解らないものをゴールにして、ビジネススキームやビジネスモデルを売る、子供をだますなんちゃってビジネスが胸を張れてしまう世になったからかもしれません。

とにかく人の強さは、年齢を問わず、ある事象、例えば病気で奇跡的に助かったとか、事故で自分だけ生き残ったとか、倒産して一家夜逃げしたとか、海外で戦争や貧困を体験したとか、何か強烈な逆境から産まれるものの方が大きく、この世に生を受けて、産まれずに死ぬことが最後の魂の修行だと言われる教えがあるほど、困難に比例するといえます。

逆に言うと、耐えられる人にしか、その困難は陥らないとも言えますから、良い環境に恵まれたり、あらゆるものを持って生まれた人ほど、実は魂が幼く、おつむも弱いというのも納得が出来ます。だから甘やかされた血縁者の三代目が会社をつぶすのは当然であり、政治の三世があんぽんたんなのも、宗祖は偉いが修行しない&困った人を救えぬ宗教法人などはもう救いようがないと、身近にいたら笑い飛ばせばいい

結局、やりがいや生きがいというものは、頭で考えるものではなく、いろんなことを経験したり、歴史を学んだりして、真剣に向き合う。やがて自分が得意なこと、つまり自分探しを経て、今、我は何をやるべきかを感じ、産み出すものだと仮定すれば、そのきっかけに成り得る未解決の社会問題は山ほどあって、興味あるところを選び、まずはそれに向かっていくことで、掴み取るべきだなと思うのです。

 偏差値や、出身大学、住まい、出身など他人と比較させようとする人、団体、制度ほど、怪しいものはなく、そんなもの無視して自らの個性力を引き上げて社会問題にあたるべく、まい進するしかないでしょう!

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