霜と雪は組織にとってどちらが怖いか? 闘戦教 より

久々のインプット。今回は特に25章の文面に趣がありました。

草木は霜に遭うと枯れることもあるが、雪で枯れることはない。上に立つものは罰ををもって国を治めるのではなく、威をもって治めることが大切だということ。

草木の中に染みこんでゆく霜は、次第に深く深く内部に浸透して、やがて全体を蝕む。

一方で雪が来る冬のシーズンに合わせて草木は、防衛力を備えているから耐えられる。

 

三方が原の戦い

あの信玄に挑んだ三方が原で、惨めな負け戦をし、それを教訓にするためにお漏らしの肖像画まで書かせた家康の戦いは、実は家来たちの離反を避けるために選ばざるを得ない選択肢だった。

なぜならこの時代、主君の生きざまをみて、家来が忠臣になるか、離反するかを決めた。まさにこのタイミングであったということ。

籠城戦に持ち込めば安全だったとして、防衛は精神的な萎縮を与える。一方で攻撃は人の心を一点に集中させる力を持っているんだ。

 

しらす国

日露戦争での陸軍のシナ戦のように、圧倒的有利なロシアに油断と隙があり、少しの負けが精神的なマイナススパイラルを生みやすく、少しずつ北に逃げ続け、やがてロシアが敗北することになった。

企業でいうところの、部下の不平不満が溜まり、ガスが充満して何らかの爆発を起こす前に、外部に敵をつくったり、目標を立てるべきなのだと思い知らされる。

そしてそもそも日本はシラス国。その逆であるウシハク(力でねじ伏せる)ではなく、筋道をつけて話をする。道義の上に胸襟を開いた心からの協力を願い、各自の役割を果たすことが一つの目標への最短となる。これが日本の統治理念の持つ有徳の現れである。

 あらためて、日本では前政権の良いことも悪いこともすべて壊す「革命」はおきず、江戸城無血開城のような維新(良いものは続く)」の国なんだ。アジアでの戦争は 欧米の侵略戦争から守る戦いであって、けっして領土を増やす戦いではなかったことは明らかであっても、言い訳しないのは、日本が背負った道なのかもしれな い。

 

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