壊れるもの残るもの、そして作るもの

写真 2015-09-28 13 51 19結局のところ、人が生きてきた証は、歴史として、そして書物やブツとして、そして人々の心に残るぐらいしか存続するすべがありません。いや、その人の心に残り、意思が存続していくこそが、必要な人間の営み、使命なのかもしれませんが。

 

コピーできない時代

特にコピー機がなく、藩を代表する屋敷でさえ木造建築だった時代は、火事や戦で、大事な書物がたくさん失われました。東京を広範囲で焼いた江戸の大火ではその大事な書物を守ろうとして、助かる命すら奪われたこともあったことでしょう。

その数や、267年間に、江戸では49回もの大火があったとあります。(Wikipedia)

当然、国宝級の大事な書物や文化遺産もたくさん焼けたことも悲しいですが、、牢獄の罪人を放ったのを、脱走と勘違いした役人が門を閉ざしたため、その中で多くの町民などが火炎地獄に陥った記述もあり、壮絶さが身にしみます。

 

若い原動力

初代 内閣総理大臣 伊藤博文はなんと44歳。当時の文部大臣 森有札にいたっては38歳でした。

やはり国が大きく変わるときには、幼い頃から奮起した若者が活躍していることがわかります。

鉄の橋総理大臣は、それ以降、どんどん年齢が上がっていきます。年齢があがること自体は、経験数に比例し、老練になっていくため、悪いことではありませんが、若者特有の強い純粋な意志や、ほとばしるエネルギーがそこになくなってしまうリスクがあります。官僚に理論で勝てなくても、夢があれば前に進めた時代でした。

現代に至っては、政治家には二代目がなってしまう始末で、プリンスとは聞こえがよいものの、すでに政治屋という商売になってしまっています。

現在は、政治家も実行部隊の官僚も、頭数だけは十分に増えてしまって、変に分業が出来てしまったために、縦割りで小粒になった残念な点ばかりが目立ちます。

 

本物の日本人

写真 2015-09-28 13 57 47現在、日露戦争の戦費を賄い、見事日本を勝たせた立役者の一人として、また日銀総裁や内閣総理大臣になった高橋是清の人生を描いた物語を読んでいますが、若くして英語を学び、22歳で国が作った大学の学長に任命されるなど、この年齢での偉業に唖然とします。

彼だけでなくてもやはりあのころの昔の人の動きを見ると、いったいいつ寝ているのかというぐらい、遊びに仕事に精力的にぐいぐい日本を世界に追いつかせよう、羽ばたかせようという精神がみなぎっています。あの高杉晋作も古事記を学んでいたといいますが、今の政治屋や、教育を訴える大阪の橋本知事でさえ、ほんとに勉強してるのかと思う言動がたくさんあります。

 政治がいいことばかりを言うのは、現在も同じ。しかしもう一度、すべてをさらして、国民全体がハングリーになって、明日を考えないといけないのかもしれませんね。

 

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