囚われる・・・悪いことをしての囚われるという意味もありますが、今回は形式に囚われる、外見に囚われるという意味を考えます。
新興宗教を除いていろんな宗教を学問として学んでいますが、今日の聖書勉強会 旧約のゼカリヤ書を学びました。
<7章 5節以降から引用>
- あなたがたが食べたり飲んだりするとき、食べるのも飲むのも自分達のためでなかったか?と主はおおせになる。
- やもめ、みなしご、在留異国人、貧しいものをしいたげるな
- 互いに真実を語り、あなたがたの町囲みのうちで真実と平和のさばきを行え
- 互いに心の中で悪を計るな、偽りの誓いを愛するな
聖書は神の言葉を聞いた人の預言が書かれていますが、神の言葉を良く聞くと断食は不要という、さりげなくすごくもっともなことが書かれています。
断食するとか、滝に打たれるとか、険しい山に登るといった行為そのものは行(ぎょう)になるので、そこに溺れてしまう暇があれば、ご飯を食べてちゃんと働けというありがたいメッセージが含まれているようです。
囚われるとは
その漢字の通り、人の周りに囲いがあるわけで、自分の心の外側にこうでなきゃならない と囲いをつくる行為です。
丸坊主になったり、どこかを巡礼したり、滝にうたれたり、ダメとはいわないけれど、あくまでも本業を忘れるなというありがたい教えだと思います。
動かない人には何もなし
神は私たちがじっとしている人にはなにもしない、動こうとした時に動いてくれ、共に動く人を使わしたり、動きやすく整えてくれる ということも学びました。
神道で習った、99%の努力が1%の神のご加護があると同じような教えのようにも感じました。
目はまぶたの中で腐り、彼らの舌は口の中で腐る という文章が、生化学武器が出てくるという予言があることが、何気に預言ってすごいと思いました。
にしても、オリーブはたくさん出てくるし、油の話もたくさん出てくる。海外と商売をしようとした場合、世界のベストセラーNO1聖書も含め、正しく宗教を学んでいるかどうかが、要になることは間違いありません。ホフク前進あるのみ。