本来は、日本のしあわせと、その他の国などの幸せの意味は違うようです。
いずれにせよ、幸せという言葉に良いイメージしかありませんが、辞書をみると、「かわいがる」「寵愛(ちょうあい)する」といった意味があるようです。
つまり、どちらかの強い拘束力が働いている場合があるということ。かわいがるもペットに聞かないとわかりませんが、相手によっては手かせ、足かせになっていたりします。さらに、幸をさちと呼ぶと、「うまい食物」「狩や漁の獲物」といった意味あいになります。
では、日本のシアワセとは?!
ホワイトボードにもありますが、本当は「仕合わせ」が正式な願いなのです。これも一般的な辞書では「めぐりあわせが良い」 や「定め」が強調されていますが、もっと大きな意味があります。
人には私欲がありますが、その内容を見ると、ボランティアや寄付などの公的行為をすることで得られる快感欲?と、いい服着たいとか、もてたいとか、お金持ちになって遊びまわりたいといった本当に個人の私欲(我欲)もあります。
その違いは、周囲、相手との関係性があるかないか です。みんなで同じ目的に持つものこそ、日本独自の和の協調文化、「仕合せ」。我欲でなく彼欲。つまり、揃って共通目的に向かって、それぞれの得意とする分野を合わせて完成させることこそが、本当の意味するところなのです。
世界文化遺産への登録勧告
静岡県伊豆の国市の「韮山反射炉」や吉田松陰の松下村塾、軍艦島など世界文化遺産への登録勧告を受けた明治日本の革命遺産がにぎわっています。
しかし今回、残念ながら取材する方もされる方も、深みが感じられず?!、ハードウェアに対する感傷ベースに、ぜひ残して欲しいと勝手な思いでコメントしていたように見えました。観光で決して取り返せるはずもない数百億円かかる維持費に対して無責任さを感じました。
登録後の維持費は本当に大変。そもそもクスリにムダ金がかかる今の日本で、莫大なお金をかけてハードウェアを残すことに意味はあるのでしょうか。お金をかけずとも、ハードがなくなっても、なぜそれが出来たかという成り立ちや、そこで教えていた内容、スピリットこそ、残す意味があります。
寺子屋 生中継
今日は明治維新をなしえた人も、混乱を避け無血開場&大政奉還した水戸も習っていたという儒教を学びネット配信しました。四書五経の中の最高の学問書とされる大学と中庸です。
自身は右でも左でも、何経でもありません。しかし、なぜ欧米列強に次々とアジアが侵略され、植民地に次々と変わっていたあの時代、なぜ日本がそうならなかったかを、理路整然と話す先生の話を聞いて、このような本物の教師はもうほとんど残っていないのかもしれないと痛切に感じました。ちなみに、大学の意味は大いに学ぶ です。