Vol1. 堺、住吉大社、四天王寺

動画完成

雨なら中止とした 1/21(日)、主催者から無事、開催される連絡を受け、予定通り堺に集合しました。

結果的には小雨が降ったりやんだりでしたが、肝心なところは晴れてくれるなど、機材に優しく、景色も質感が浮き出てとても良い結果になったことを、嬉しく思います。

懐かしい場所、堺祭りで業務撮影した道をを、再び歩くことの不思議を感じつつ、主催者の案内について、歴史の街道を進んでいきました。

 

以下工程詳細をば。

基本的には動画そのものを見て貰うのがいいかもしれません。

GINZA STREETを抜けて、役所1Fには、ハイクオリティな堺の様子を模した絵巻物語りがありました。

堺の裕福な町衆、魚屋(ととや)に生まれた利休 ということで 千利休は魚屋だったんですね。

堺が最も栄えた戦国時代には、この大小路を挟んで、天王寺屋、紅屋などの豪商が軒を連ね、ここは堺一、賑わいを誇っていた通りになるそうです。

なので、メインストリート 大小路(おおしょうじ)を歩けば いろんな歴史文化を残す町並みに出会えます。

銀座の柳の言われは、堺だったこと。
江戸時代に堺から移住した 銀細工職人が銀貨を鋳造した地であることから「銀座」と呼ばれるようになったそうです。
現在も銀座に柳が植えられているのは、職人達が堺を懐かしみ、堺から柳を移植したからとのことです。
が、堺の方は 頭のおかしい?誰かが 柳を切れと言ったそうで 全くなくなってしまったようです。

茶室を屋上に構え、茶道具、華道具、記念品を扱うお店や、美味しい イワシを食べさせてくれるお店、安倍晴明 辻跡や、風呂屋から 呼び名を変えた小学校、歴史ラップされた電車など、紀州街道の石碑、チンチン電車など、市内では味わえない体験を得ました。

 

そして次に向かったのは住吉大社

有り難かったのは、ガイドさん。

とても解りやすく説明くださり 映像だけでは解りにくいところが、声が入ることで染み入るように入ってきました。

やはり映像は声と映像がそれぞれが綺麗に合致すれば その時の情景も蘇り、かつ学びが深くなるということを
あらためて学んだ次第です。

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<住吉大社のうんちく>

神功皇后は、1800年前に住吉大神(みそぎ祓の3柱の神)のご加護をうけて、住吉の地に 真住𠮷とのお祭りになられた。

皇后の御孫 仁徳天皇は、浪速に遷都せられ、住吉の津(すみのえのつ)を開港せられ、遣隋使、遣唐使を 送られました。

住吉は 古くはスミノエといい、日本人の精神で産まれた清浄感をつかさどります。

日本人の生活観における清浄と安住をよく守護して 恵まれる生命の神として 真住吉 の恩頼を深く仰ぐ

古くより朝廷から あつい崇敬をあつめ、延喜の制では、名神大社に列せられ、正一位の最上位の神階 摂津国一宮、または全国2千社近くある住吉神社の総本宮として、

住吉大社は、神道では最も大切な穢れを祓う 穢祓の御神格をもって御出現されました。

その他、航海安全(貿易育成)、和歌の道の守護神として信仰されてきました。

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