変なタイトルですが、ふと思ったこと。
Youtubeが大人も子供もオリンピックもTVメディアさえも一斉に同じ共通基盤、インフラになった
ということは、ほんと凄いことだと思っています。
アメリカ大統領選挙の不正や、コロナウィルスやワクチンの嘘など、証拠があっても消されるのは残念ながら、Google社員や雇われた電通社員は検閲含めて、あの膨大な量からAIを駆使しながら、よくやっていると思います。
懐かしい話
まだGoogleが買収する前の段階では、商売にもなっておらず、共有サイトのサガである違法コンテンツやアダルトチックなもの、レギュレーションがない無法地帯でした。
一方でこれが作り手、クリエーターにとっては勃興期のお楽しみ期間であったことは間違いありません。(先行利益は確実に存在するからここに張った人は凄い)
しかし閲覧側、ユーザサイドからすれば、あまりにもクオリティ差とコンテンツの探しにくさ、作り手のモラルハザードや、低品質動画ラッシュで時間の無駄&ダメの烙印を押してしまう。
ある種、思想と企業コマーシャルの洗脳装置とはいえ、クオリティが一定で、見慣れたTVに戻ってしまう という悪循環があったと記憶しています。
しかしYoutubeだけで生きていく人が増えた中
企業の金をかけたコンテンツや、金にまみれたスポーツの祭典 オリンピック、億単位の映画コンテンツも混じる中、芸人も乱入しつつ、黎明期から頑張ってきた個人も、変化に対応しつつ、自分の居場所を確保。
さらに存在感を示して、企業とコラボして企業側のCMに登場、共存してゆく面白い循環&空間になったように思います。
単に告知やPRといったコンテンツから、お金が流れる仕組みが出来上がった
と思います。そこで改めて必要なのは、動画そのものだけでなく、タイトルや本文の書き方、キーワードなどの検索対策(SEO)含めて、そして時間軸を意識した過去から現在まで一貫したものがないと、ユーザに古いコンテンツを引っ張り出され、こいつは変わった!まったく反対のことを言っている!などを指摘されるリスクさえあります。
キンコン西野亮廣、オンラインサロンの会員数が激減で“月に約300万円減収
まさにSNSで小学生時代から共有をする人たちの恐怖でもありますが、そういう変化に対して正当な理由がなければ、裏切られたものは離れるし、応援者がクレーマーにさえなり、一夜にして収益とブランドを失い兼ねません。
一番怖いのは社会からいなかったことにされること・・・デジタル時代のもうすぐ起こりえるリスク
それも含めて、ライブ配信、オンデマンド配信など入り乱れ、世界競争はますます激化し、閲覧者の僅かな1日の可処分時間を奪うべく、配信者は頭をひねっていくことになります。
デジタル修行・・・だから進化する・・ボケない(笑)
とういうことで大阪城公園の桜2です