生中継配信 お客さんがケーブル踏む

結果がすべて?の生配信。

いつもいろんなトラブル要素と戦っているように思います。

が、今日はまさかの、15sぐらいの間、信号が途切れる現象。狭いスペースでお客さんの写真記録撮影作業が入ることを想定しておらず、養生テープは使っていたものの、ふと先を見ると、HDMIの映像ケーブルをがっつりお客さんが踏まれていたようです。

高齢者の集まる施設だから、担当者もその道のプロではなかったこと、片付けを1分程度で終わらないといけないことを、本番間際に聞いて、終わった後は大変だったこと、まぁこんなことも想定しながら、完璧に向かっていく必要があるのだと、また学べました。

それにしてもコロナビジネスは、いたいけないお年寄りにも、自粛を求め友達と会わせず、会話させず、疲労させていたことを痛感しました。最上位の病の元が精神だけに、わざとこうやって病気を産む行為を促すことに政治や医療に不信感を感じざるを得ません。

日本の美が少し解ったような気が・・・

なかなか進まない紅葉編集ですが、なぜこんなに綺麗だと感じるのか、疑問に思ってしまいます。

ひょっとすると日本人のDNAには不足こそ美学、食べ物、絵画、精神、提案など、どのジャンルにおいても、それ単体で完成しない ものこそ美しいと感じるのだと思います。

わびさびといえば簡単ですが、単なるわびしい、寂しいでは片付けられない何かがある。

落ち葉のビジュアルそのものを見て、木々が自身を守るため、栄養分を与えず、切腹のごとく、末端を朱に染めつつ、葉を落としてゆく、といった、自然の営み、季節感など、背景そのもの、裏側にあるストーリーを見ているのだと思うのです。

 

写真にせよ、動画にせよ、そのものではなく、余白やその現象から、いろいろ想像して、人それぞれの感性が合わさって、見え方が異なる。

同じ人間が見ても、その人の心境で変わるものが良いものなのではと、ふと思った次第です。

これはありったけのスペースを全部使う欧米流、中華製品の大部分に共通することで、細部に宿らないのだと思うのです。偏見があったらすみません。(パワポ文化は日本人を同じ穴に落とされれたのかも。文、便せんの手紙文化、日本のワープロ 一太郎を壊し、ワクチンで世界中に毒をまくビルゲイツ憎し)

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