京都勉強会

京都の勉強会も既にテレワークにシフト

かれこれ2年が経とうとしているのですね。

直接、顔を合わせず、学ぶとことに慣れたとしても、そこへの行き帰り道程(電車の中での会話、季節感他)、休憩時のお菓子、ちょっとした会話や、階段上がり下がりする際に出会った人への挨拶など、ちょっとしたコミュニケーション能力が劣化していくように思います。

みんなの顔が同時に見られる便利さの反面、空気をより読んでしまって発言を止める?とかは、あってはならないですが、何らかの心理作用はあるかと思います。

それでも 大人になってからのテレワークしている人なら、すぐに元に戻れると思いますが、中学や高校で、ずっとこれに慣れてしまったら、例えばタブレットベースの外資サービスに身を委ねる強制テレワークが進めば、日本の未来も、コミュニーケーションの質が悪い方に変質してしまうだろうと、少し怖くなった次第です。

なぜか回線は安定していたのに、3回ぐらい私のZOOMが落ちてホスト権が他の人に移ってしまいました。(YoutubeLiveも停止しないものの、絵がなくなっている)

 

とういことで、今日の勉強会。論語のアルパートを読んでの読書感想文。

京都勉強会 読書感想文

P.208
23

現代語訳
老先生の教え。若い者を侮ってはならない。後輩よりも現役の者の方が優れているとどうして分かるのか。[現役と称しながら]四十、五十となっても、まだその名が聞こえない様ならば、畏るるに足りない。

ーー>
ドキッとしました。
確かに会社員時代も、つい最近でも、何度もこういうシーンに出会ったことがあります。

特に独立後は、いろんな失敗や経験から、年齢や大学、役職などでその人を観ることがほぼなくなり、嫉妬もなく、冷静にすごい人は凄いと思い、尊敬するようになりましたが。

しかし当時は、大企業だからとか、雑誌で活躍しているとか、有名人だとかの情報に惑わされた。要は本質を見る力がなかった様に思います。

これはやはり自身の虚栄心、経験のなさと、日本の年功序列といった、旧来日本の人事制度の負の部分、弊害だと感じます。職務能力よりも武勇伝や声が大きいといった、その会社独自のルールを同列に見てしまう。

専務といっても創業者系のドラ息子もいることを知らなかった。
先生やドクターはみんな偉いと勘違いするのと同様、役職に惑わされる。

さらに現代は、早く入社したからと、先輩をなぞるだけで生きられない難しい時代です。

論語が書かれた頃とは劇的な変化を告げていて、人間の能力を超えるAIデジタル革命現代。技能よりSNSの繋がり数が社会的ステータスも左右する時代。容姿や年齢、発言で判断できません。

西洋は名刺交換を最初にせず、終わった後にする。一緒に仕事ができると判断した段階で、初めて名刺交換すると、何かでみましたが、確かに今は私もそうしているような気がします。

一方で恐るるに足らない四十、五十も、わざと侮られるように仕向けて、実際は手のひらで動かす人がいるのも確かです。

結局は自身の力不足。質問力や、その応答を見て判断する力、相手の能力を引き出す力をつけるべきだと思い知った次第です。

(蛇足)
改めて今どきの現代の若者は、本当によく学び、耐えている様に思えます。ある種 世界の不遇の今を若者として過ごした人たちの、大革命、反撃が 10年以内に起こる気がしています。(ワクチン、テレワーク、友達と会えないままの教育など)

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