京都勉強会 読書感想文

毎月の京都勉強会。今日もテレワーク前提でZOOMとYoutubeのハイブリッド配信を担当しました。

以下、論語の宿題ですが、今回のは特に含蓄があるものばかりでした。

その一部をば。最後のものだけ自身のつたないコメントを付けています

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p.176

〈現代語訳〉
曾先生の回想談。才能がありながら誇ることなく、才なき者にも優れている点については教えを乞い、知識が豊富でありながら、知識の少ない者にもたずねて得るところを増やし、徳がありながら、 まだまだと努力し、人間として充実しておりながら、不十分とし、他者か
ら不法・非礼な行為を受けることがあっても、報復したりしなかった。〔そういうことを]もう昔のことになったが、亡きわが同門〔の顔淵]はできていたのだ。

13
p.181
〈現代語訳>
老先生の教え。堅く人の道を信じ、学問を好み、たとい死に至ろうと節操を守って人の道を貫き、乱れようとしている国には入らず、乱れている国は去る。世の中が人の道を履んでいるならば、そこで働き、人の道にはずれているならば退いて暮らす。〔そういう生きかた
をせよ。つまり一国に人の道が行なわれているとき、〔退いて暮らしていて一貧賤であるのは恥である。〔逆に】国に人の道が行なわれていない危邦・乱邦であるとき、「無道に乗じて】富貴であるのは恥である

2
p.173

老先生の教え。長上に対して手厚くあっても〔それを表わす】礼法を知らなければ、〔ただやみくもに丁寧なだけであって〕疲れてしまう。慎み深いのはいいが礼法を知らなければ、〔ただ控えめにするばかりで]恐れおののくだけとなってしまう。勇気があっても礼法を知らなければ、〔ただ実力行使あるのみであって〕社会の秩序を乱すこととなる。まっすぐなのはいいが礼法を知らなければ、「ただの自己主張に終わり】融通がきかないことになる。教養人たる者、血縁者を大切にすれば、民は〔それを見習い】人の道に生きようとするのだ。また、昔からの知人をいつまでも忘れないとき、民は「それを見習い)人情が薄くならなくなる

ーー>

痛烈なメッセージ、非常に頭が痛いですね。やたら丁寧で、心が入っているように思えない。心ここに在らずの状態は自身にも覚えがあり反省しています。

バイデンが核ボタンを手にするのと同様、無知は危ない、犯罪なんだと思い知らされます。

礼法は礼儀作法や、しきたり全般を指すと思いますが、法律もその類でしょうか。

バイオの師匠が、薬事法(現 薬機法)や食品衛生法、食品標準法 だけでなく消防法などの、ビジネス直結しない法にも言及したことがあり驚きました。これは例えば洗浄液の競合であるアルコールに引火性があることで、そこから派生したものですが、新しいことをしつつ、深く鉄壁の守りを固める行為の偉大さが解ります。

さらには厚生省の薬事に関わる お役人トップにも会って、自社商品が問題ないところまで密かに口頭で内示を得ていることに驚きました。

それは極端、誰しもができなくても、何が起こっても対応できるという自信は大切で、社会の一員として、あらゆるアンテナを張り巡らせ、道を行うことが大切なんだと身が引き締まります。

最後の血縁者、知人をいつまでも忘れないことも、単なる堅物ではない優しさと思いやりが、人の両輪を成すように思います。

先週末、知人の演劇撮影があり、桃太郎の裏話チャンバラ劇を撮影してきましたが、これも弟子たちが、師匠である殺陣師が今年亡くなったことへの慰労公演でした。

桃太郎の仁義、礼儀、勇気に法律を加えたものが最強の予感がしてきました。

 

にしても、こんな風に手書きウェブお互いの顔をさらけ出しながら、混在してFHD画質自由に配信しあえる時代が来るとは想像していませんでした。

当然画質は向上していくでしょうが、何よりも生中継中にすぐ伝えるための仕組みにおいて、手書きとスイッチャーは最強だと思った次第です。

専門スタッフがいれば別ですが。

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