4/29~5/6 石光寺で期間限定で行われた漆器の展示会

もう世の中は営業というジャンルは、ある種消え失せて、かつての物々交換時代のコミュニケーション力というものに戻るような気がしています。

 

商(あきない)というもの

何度も触れましたが、中国の商王朝の時代の習慣から名付けられたもので、商の人が王朝のために物資を運んでくることを言いました。本来、王朝からは王女を含む貢物をせしめるだけのパワハラ一方通行でしたが、各王族同士も例えば羊の国から(太公望が生まれた)羊をもらって、代わりに宝玉を渡す、政治(占い)にはカメの甲羅が必要だから、肉と交換するといったように、お金の概念がない当時は牧畜、 肉、奴隷、毛糸などの物々交換をした時代だったようです。

やがて各王族を力でねじ伏せた商王朝も周に滅ぼされますが、500年以上続いた商の時代に文字や貨幣のような貝殻文化が生まれたのも確かです。

 

金の概念が変わる

世界は銀や金本位制に揺れ動きながら、上限のない貨幣システムを手に入れ、パチンコの景品交換所のごとく取引の間に入り上級国民達はただの紙切れを錬金術する技を手に入れました。それに飽き足らず植民地化した国に民間の中央銀行言いなりの総裁を設置して、定期的にBISというい名の世界総裁会議を経て世界をコントロールするようになりました。

気が付けば、うそにうそを重ねた天文学的な借金を、どこに背負わせるかのロシアンルーレット状態にまで発展、たとえばドイツ銀行が破綻寸前でリーマンショックの数倍で効かない世界を巻き込んだ混乱さえ危ぶまれています。

そんな迷信はさておき、日本も早く中央銀行を取り戻せねば....というより先に、物々交換に戻るのではないかと感じています。もちろん貨幣は使わず(笑)

話は180度変わって先日の石光寺 美ing 「花と漆の宴」に潜入してきました。僧坊の中の様子を撮影するだけでなく、無茶ぶりをして作家さん、プロデューサーさんに簡易インタビューさせて頂きました。

やはり感性のまま、自然のものと調和させ汗をかく人々の言葉は気持ちいいなぁと思うわけで、感動した次第です。

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