「人事を尽くし、天命に従う」の本当の意味とは?

ケツァールという 色が派手なガテマラの鳥

京都勉強会の読書感想文「菜根譚」がようやく終わりました。中国であまり重んじられず、金沢藩経由で発掘され、日本人に盛んに読まれた学びの話です。一見、儒教の誠意が書かれているようですが、仏教と帰するところは、同じという結論です。

中でも、以下2つはまさに真理ではと思える言葉でとても印象的でした。

「菜根とはもともと野菜の根であり、肉食などの美味なものに対し、粗末な食事のことでよく貧乏な生活に耐えうるような人であったならば、何事も成就することが出来る」

ほんとこれに尽きると思います。変に金や時間、余裕がありすぎるから、浮わつくこともあり、道を踏み外すリスクを自ら抱えてしまう。素地を保ったまま心に素直であり続けるためには、極端に言えば、おおかみに育てられた少女のごとく、シンプルが良い。ある程度芯が整えば、世間の賑やかな、不浄なものに触れても、どっぷり浸かることはないのだと、思いました。

 

「人事を尽くし、天命に従う」

人事を尽くして天命を待つ?人事を尽くし、天命に聴(まか)す?ともいうようです。が、一般に言われる意味は間違いだそうです。

先生に教わったのは、一生懸命やった、その結果は天に任せるという順序性があるようなものではないということ。つまり人事を尽くした-->結果は甘んじ待つ ではない。例えが悪いですが、芸人がオチを言った後、「どうだ」としたり顔をすること自体、作為がある。夢中でやっていて、気が付いたらゴールしていた。「天命に従うことに尽くす」が本当の意味のようです。

 

フェアトレード

画像はスターバックスに行った時のもの。今日は99の日ということで、フェアートレード?でガテマラの農家さんに99%売り上げを渡している?ことを聞きました。まさにサスティナブルにする素晴らしい仕組みですね。もっとも献血と同様、仕組みだけではだめで、最後はユーザがアクションしなければだめ。強烈なヒントをもらいつつクイズに正解したということで20gの豆を頂きました。次回はぜひ購入したいと思います。

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