勝海舟の覚悟と仕事

先日訪れた下田。人に下田のお土産を渡したら歴史知らずに話が一瞬で終わってしまって残念でした(笑)。

勝海舟が山内容堂と坂本龍馬を引き合わせ、脱藩の罪が許され龍馬が飛躍した地としての石碑があり、また恋人から引き離され、ハリスの妻に無理やりされて、ハリス亡き後は非国民と扱われ不幸の最後をとげたお吉さんの墓を祀る宝福寺さんに行ったのは、1週間ちょっと前のこと。

この下田は開国の地として知られ、あの吉田松陰が、黒船に向かって2人で手紙をもって乗り込み、結果受け取ってもらえず、獄中に自ら投獄された場所でもありますが、黒船が到着したとされる湾に立ち、160年経過していないと聞くと、つい最近のように当時が思い起こされます

明治維新では草莽の志士がいろいろ取り上げられますが、やはり個人的に一番好きなのは勝海舟。やはり日本の中心だった江戸と、その住民を、闘いでおこるであろう大火や犯罪の渦から守り藩同士の無益な争いから日本を欧米列強に負けない国にするために西郷と折衝した無血開城は見事だし、何よりも慶喜を良い落としどころに持っていき、榎本武揚や土方歳三、大鳥圭介などの旧幕側への配慮もしつつ、明治後に政府側で役職を持ち、旧幕臣たちを最後まで就職させるための努力を行ったことが、人としての器の大きさを感じさせます。

勝海舟は幼いころ、貧乏で天井を暖を取るためにマキに使って板1枚残っていなかった。にも関わらず金や地位に対して無欲だったことが知られています。とにかく日本国民の和と挙国一致のために働き続け、最後はコレデオシマイと逝ったこと は素敵だし、大風呂敷、武士道から外れ、自分だけ保身に向かうなどと様々な批判を意に介せず、言い訳も何もしない

そんな勝海舟をもって、及ばないと言わしめた大胆識と、大誠意を持つ西郷隆盛。この黒船時代、2人が双方のトップにいたからこそ、日本植民地化の最大の危機から免れたと確信しています。やはり私欲ではなく、人のため、会社のため、国のためになると信じて動くことが、最大の力を発揮し、協力者を巻き込む力になるのだと歴史に学んだ勉強会でした。

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