数年ぶりに古事記

解説本は数あれど、真の意味を理解しにくい古事記。しかしありがたい縁があって、とても解りやすく話してくれる先生に深く学ぶことが出来ていることに感謝です。

 

神道の原点

20171025214325ということで、日本最古の歴史書とされる古事記ですが、実際には道を説く神道の原点。神道には2つの意味があるといいます。「神が人に人の歩むべき道を教える」「民族、国家は如何にあるべきかという大道を示す」

あの長い難解な文章を全部覚える必要はなく、実は神道は序論 即 結論だから安心です。

成るいうことと、造るということはまったく違っており、他の宗教が創造主と創造物の関係なのに対して、将棋のふが金に変化するように、成るというのは既にあるものが変化するというわけです。けっして一つの命から次の生命が生まれたわけでない。

 

命で出来ている

20171025214431神社の御祭神には、有名な須佐之男命(スサノオノミコト)、さるがく・能・狂言の神様、天宇受賣命(アメノウズメノミコト)など、最後に命という言葉が付いています。

我々人間の命と同様、黒点の減少が太陽活動を表すように、まさに神すら命で出来ているという意味であり、天之御中主神(あめのみなかのぬし)から生まれた各々の神が自分の仕事を果たしつつ、それぞれ一度きりの生命を生きている のです。

結局は宇宙も我々動物も同じ、まさに私の中に宇宙がすべて映る=悟りの境地になることになります。般若心境の”空”のごとく、己を捨てれば、無限の叡智とエネルギーが入り込んでくることになります。

まるでドラゴンボールのゴクウのごとく、おらに力をと叫んで、エネルギーをもらうことに似ているのかもしれません。

20171025214431己を捨てるということは、自我(俺が俺が)を捨てることであり、まさに相手の立場で物事を考えた方がうまくいくことを、論理的に説明していることに驚きを隠せません。

頭の中を無にするのは難しいけれど、行など体が大変な時は案外、それを忘れるものです。まさにこの一念だけを考え、他を捨てる行為こそ、一念無想であり、神仏の手が降りてくるというきっかけになるというわけです。社会問題に対して、自身の技術などを最大限に発揮しつつ、ひたすら正しいことをやっているといつか奇跡は起こるかもしれませんが、デイトレーダーが自身の金儲けに必死になっても何も現れないということでしょう。(笑)

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