つまるところ言葉しかない

数十億円を狙った提案にせよ、小さいアポイントにせよ、映像制作の実作業にせよ、つまるところ言葉しかないという結論に達しました。

なぜかお天道様の下で仕事をするとはかどる

なぜかお天道様の下で仕事をするとはかどる

映像の編集技術をいくら蓄積しようが、撮影技術がいかに他人より優れようが、その技術習得を第三者に伝えるためには、言葉が必要である。一方でその人から出てくる一語一語というのか、細部に至るまで、その人の性格がしみ出ている以上、サラリーマン社長ではない、創業者や一流の経営者と呼ばれる人になればなおさら、すぐに見抜かれることになります。

つまり、自己中、自分本位、囚われ、おべっか、儲ければなにしたっていい、などという、当人の本音は、ちょっとしたやりとり、節々に言葉に表れるため、隠してもそれなりの偉人と呼ばれる人には、数秒で見抜かる。笑顔でシーユーネキスト、グッバイ。二度と会わないになるということ。

どんな簡単なことであっても計画ごとが、設計図通りに行くことはまずあり得ません。だからこそ、困難にぶち当たった際、その人の対処力が成功の可否を決めるのは当然であり、所詮、自己中な人は、メールの署名欄に名前を名乗らなかったり、小さい約束を破ったり、時間にルーズだったりするわけで、つまりいざとなったらしっぽまいて逃げるという証拠を見せてくれていることになるのです。

そこまでひどくなくっても、頼れる相手ではないということになります。
なぜかお天道様の下で仕事をするとはかどる

なぜかお天道様の下で仕事をするとはかどる

てめえの口から出る言葉=ことだま(言霊)であり、そのバックボーンに宗教や哲学という骨組みがなければ、長いものに巻かれ、風の吹く方につくというその時次第の、中身がない、つまりクラゲのような信用が置けない人になってしまうのです。

逆に、たいした成果がなくっても、志が高く、そこに向かってほふく前進していれば、自信をもって言葉を発しているに違いなく、そこに感応して任せてみようという感情が経営者や偉人の頭に生まれるのです。

 何が言いたいかというと、何気ないことであっても、自身の一挙手一投足に理由をもって日々、仕事をしたい&生きていたいと思います。これこそ良い未来を掴む最短かつ最善のものであると確信しています。神道や仏教、聖書といった宗教心は、その根源になるべきものですが、正しい先生・師につかなければ洗脳される、つまりこれすらも、師を選べる違和感を感じる自分になる必要があるというわけです。

 

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