世界で最も古く演じ続けられている文化が奈良にありました。金閣寺が建てられた足利将軍時代から既に700年を生き延びた能。
かつて申楽(さるがく)が盛んでしたが、観阿弥、世阿弥の流れで、この能が発展。ちょうど先日の勉強会で習ったばかりでしたのでとてもタイムリーに楽しめました。
みんなで能体験という親しみあるコーナーがあり、その中で興味深い話があったのでトピックを列挙しておきます。
- 曲と呼ばれる演目は前半と後半に別れる。
たいていは前半が霊魂、亡霊。後半に本体が登場 - 着替えに時間かかるので、間は狂言師がとりもつ。
- ワキは坊さん
- 能はお面着用するとほとんど見えない。
- 柱がないのは危ない。下に落ちる可能性あり。
- 左手にある橋は、あの世とこの世のカケハシ
- 本来は滅ぼした側が滅ぼされた方にむけた鎮魂のために出来た。まさに成仏のために行う行為で武士に重宝がられて、現代に来ている。
- 能の極意は行かずしてその時代を旅させる。聞き手も思い描いて聴く。
- 能面は無表情と思われがちだが、そんなことはない。上を見る、下を見るなど、少しの動きで、嬉しみ、、悲しみを表現する高度な技。
- 能面を覆う前に敬意を示して、礼をする。
- 能面は貝をすりつぶして、にかわでつくる。
- 必ず紐をもつのは、何十年たって手型が浮き出てくるから。だから手で顔部分を触らない。
能がさらに長く続く伝統芸能になるには
最後の汚れに関しては、カメラボディもレンズも、人工心臓も歯ブラシも、皮脂、淡泊汚れを分解する医療のプロが使う当社の酵素なら大丈夫でしょうが(笑)
肝心の中身は、とても神妙に、厳かに、国内最高峰の文化を楽しめました。言葉は解りにくかったですが、最初にストーリーを聞いていたので、むしろ翁の動きに注目出来ました。歌いはじめと終わりで礼をしたり、道具を使う度に紐で巻いて待機したり、使わなくなった杖をしまうことにも、美しい所作が用意されていて、美の探求が感じられます。
そもそも今回の例でいうと、平重衡(しげひら)の鎮魂であるからして、みんなで共同葬儀を行っている気分にもなりました。
業界を鑑みると、新しい演目を作る人間少なくなったようですが、かつての世阿弥の風姿花伝で書かれている通り、やはり美しい、幽玄なものは、つねに動いていることと、時代に合わせて変化すべきことだろうと思いました。世阿弥の時代も朝廷、公家から武士へとスポンサーが映り替わる時代でしたから、それに合わせていった結果の存続だからです。
そういう意味では、文化庁認可とか、知事や市長といった要人が挨拶に出るのはいいけれど、主催側でないからとか、招待してもらって感謝というコメントは、金を出して観ている我々にはむしろおかしい挨拶に見えました。(奈良は役人天国だから企業が少ない?!)
本気で能を広めようと思うなら、作り手も見る人も高齢者が多いのだから、ピンマイクを使って、鳴り物の音とミキシングして聞き取りやすくしたり、お面で聞き取りにくい言葉や、言葉の意味を、ディスプレイで映して、文字で理解させるような工夫が必要だと思った次第です。あとはYoutubeLiveなど、足を運ばない人にも見せる体験はもうマストでしょう。中身が良いだけに世阿弥が見ていたら怠慢に映ると思いますね。 Understandという言葉は、相手の目線に自ら下りることであって、こっちに合わせろではないんだ。