読書感想文 花鏡 講談社 海道龍一郎

久々の京都勉強会。この時期といえば祇園祭 後の祭りは、派手さがなく、おとなしいからこその静かな祭り、地元の人がじっくり行く祭りなのかと思いつつ、授業を受けました。

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3世代目のCorei7 ゲーミングノートPCで、FHD30P なんちゃって3スイッチの生中継配信しつつ、学ぶべきはもちろん中庸が主ですが、読書感想文もあって、昔ながらの掲示板が大活躍しています。本書第一番のテーマの世阿弥について書かれた感想をば。

スケッチ (1)

全体の感想

世阿弥の凄さより、心の内面を描いた。褒めたたえるより、弱い部分を表現。人は関係性によって生かされるも殺されるもすると解った。佐渡で一人になって自分を見つめることの大切さ。

そして見えないものを他人に見せる幽玄の難しさ。だからこそ美しくはかない。サクラを人が望むのも散りゆく姿の方が印象的なのかも。

p9.
大宝元年(701)に制定された律令により、「苔ち、杖じょう、徒づ、流る、死し」という5段の刑罰が定められているが、その中でも流刑は死罪に次ぐ重罰とされた。

そして、、流刑もまた3つに分けられ、こんる近流は京より3百里(160キロ)、ちゅうる中流は560里(約300キロ)、とおる遠流はなんと、1500里(約800キロ)の地へと送られると定められた。、

こんるは越前や安芸へ、ちゅうるは諏訪や伊予、とおるは、伊豆、あわ安房、ひたち常陸などと、されていたが最も厳しいのは海を渡る隠岐と佐渡への島流し

p.14
世阿弥が誕生した時、観阿弥は得意としていた鬼の芸にちなみ、幼名を鬼夜叉と名付けた。もちろん、この長子を立派な後継者に育て上げると決めていたからである。

p.18
若者の役といってもまだ、齢12になったばかりの鬼夜叉には、少々、、荷が重いかもしれない。、通常は二十歳を、越え、ある程度の芸歴を積んだ申楽師が担う役である。「この、翁には、、一座の存亡がかかっておる。、できるか、鬼夜叉」

–>やはり父の強い思いは言葉となり、生き方に繋がってゆく。

p.33
藤若は義満を通して公家や武家が修める最高峰の教養に触れ、文学の素養を開花させてゆく。もちろん、父の稽古も、激しさを増し、申楽師としての腕前も大きく伸長する。

…お下がりといっても、最上流の武家が着用するものばかりであり、、妖艶さを、増してゆく容貌と相まって、藤若は京にも、二人といない洗練された美童べへと成長してゆく。

–>幼き頃の優れた学びが、未来の跳躍力に、繋がる。

P37
いや、公家たちでは創りえぬ新しい美を追求せねばならず、そのために同朋衆がいるのだ。世が並ぶものなき王になった時、そなたは並ぶとか者なき芸の花となれ。

–> 人を率いる優れた人は 、同じ優れた人を見抜く眼を持つはず。

p45
散りゆく刹那こそが、、風の姿と相まって最もはかなく儚く美しい…見ようとすることこそ、、求道の真髄がある。

–>風姿花伝 そのもの

p62
これまでは、己の芸のことだけを、考えていればよかったが、一座を維持してゆくためには、、全く、違うものが必要となる。

–>次のステージにゆくために必要なステップ

p.95
何をさげす蔑まれようと、それがしは観客の喜ぶ顔が見たい。…ちちうえには、そのお客様の顔が見えておりませぬ!

–>囚われると、みえてこなくなる、

p111
藤若、花は散りゆけども、また折節に蕾を結ぶ。花は心、種は、わざ。

–>
枯れてなければ、心根が生きてれば何度でもやり直せる。

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