山や川を離れた人間は自ずと健康を離れる

携帯やスマホの電波が届かない自然豊かな土地に行って思ったこと。

人は何も持っていない・・・裸で生まれて裸で死んでいく・・・

写真 2017-08-23 6 22 14見上げても先端が見えない森林の横を流れる川のせせらぎを聞きながら、車1台分がようやく通り抜ける細道を抜け、エアコンまったく不要な築何年か解らないビルディングで一晩を過ごしましたが、現場はとても涼しく、水の音色が心地よく、からっとした気持ちいい気候もあいまって、まさに今、日常を完全に離れられたとはっきり自覚しました。

と同時に、蛍光灯の届かない真っ暗闇の訪れは、自然界から有無を言わさず寝ろとのNatureCall(ネーチャーコール)であり、自分の内面に向かうことを余儀なくされます。そして快適な睡眠の末に迎える朝は、アラーム音いらずで写真 2017-08-23 20 27 456時起きできる清々しさ!本当のネイチャーコール(トイレ)で心身ともにリフレッシュしたように思えます。これが神道、仏教で得られる境地かもしれません。

時間がない、時間がないと 日常に追われ、少しできた時間を高度・高速な秒単位リアルタイム通信を使って、腹減ったとかつまらないメッセージをやり取りしつつ、SNS疲れなど心身を病むやむ人が増えていますが、テレビもスマホも意味を持たないこの場所では、早く暗くなる分、やることがないと一日はとてつもなく長く時間が余り余ることになります。

 

コミュニケーションを自然と熱望する環境

良識を備えた御仁であれば、特に快晴を迎えた今日なら、一日を大切に、有意義に使おうとすると、土いじりとか太陽にあたることを考えてしまうのは至極自然な流れなのでしょう。何よりも暇を持て余さないためにも、人が人と話すことを求め、結果、様々な人間同士の良いコミュニケーションが生まれるのは必然であり、この行為こそが人本来の生き方の真理なのだと思うわけで….これが自然と溶け込むということなのでしょう。

こうなるとスマホでのコミュニケーションは真のコミュニケーションではないことが解ります。Understandという言葉は、相手を理解するために自ら下に立つという意味がこめられていると理解していますが、LineやFacebookやTwitterが相手の立場に立つような手段、システムになっていないと感じています。

写真 2017-08-23 20 00 34

未来のためにリアルタイム系ツールを使わない時間を創ろう

リアルタイム性の高いツールになればなるほど、個人の創造時間を奪う。すごい発明をしていたかもしれない少しの空き時間さえも。(生中継は究極か・・・笑)

下手をすると相手は広告ロボットか、あなたに指示を出したいだけの上司か、鼻をほじり別のことを考えながら言語を書いただけの暇人&一方通行な行為に過ぎないかもしれません。

 やはり時間制限や割込みがない環境のない中で、じっくり人恋しい状態になったもの同志が対面で話すことが、本来のコミュニケーションのあり方なのでしょう。(もちろん大勢でもOK)

精神の安定が健康維持の最上位手段であることは、いうまでもなく、そもそも人間がなぜ白目があるかという疑問すら解けるようになります。相手にどの方向を見ているか知らせるコミュニケーションためであり、捕食リスクのある生態系下位動物ではあり得ない機能なのです。

 

コメントを残す