新しい技術は大好きですが、作り手側ではなく使う側だけにまわる状態は良いとは思っていません。たとえば聴覚障がい者のための字幕は必須としても、バラエティなど何がなんでもテロップを入れるというものにはやはり抵抗があります。
視覚ばかりに頼り聴覚が退化するから。&編集マンの負荷が高いだけだから。
だから字幕は編集で埋め込むのではなくDVDの字幕機能のように、必要な人だけが表示できるように選択いいのです。
昔から一足飛びに退化?!
昔を思えば、面倒な手紙文化から一足飛びに脳や文化劣化の流れに向かっていると思います。
手紙は紙を選び、宛名が変わっていないことを調べ、相手のことを思い浮かべながら手書き文字を修正液で直しつつ、思いをこめて考え文字にする。さらに昔は墨を使って筆で記入していたのですね。
記念切手など相手に合う絵柄を選び、まっすぐに貼りつけ、郵便局に出して、トラブルがなかったらやっと相手に届くという、あの行為は何だったんだろうと盛大な儀式に見えてしまうぐらいの行為が当たり前でした。
今やコンピューターとネットがあれば、あて先を入力し送信ボタンを押せば、数秒でメッセージのやり取りできるメール。年賀状だけはやめてませんが、それでもコンピュータがなければ出せないぐらい記憶力も気力も劣化したように思えます。
その便利な仕組みすら出先でも送受信できる機能とともにスマホとモバイル通信網が進化させていきます。
熟考不足で社会トラブル
やがてメールが企業にも行き渡り、FAXから役割を奪ったものの、新規メール作成が面倒だと人のメールレスに返信し、タイトルがre:re:re:re:reというレレレのおじさんもびっくりの流れになりました。
その便利だったはずのメール文化もやがてあて先不要(事前登録した)相手に140文字程度の(相手を思い浮かべなくても成立する)つぶやき連打が可能になったTwitterや、Facebook、チャットなどの簡易メッセンジャーにシェアを奪われることになります。
そして短いメッセージ通信はLineを加えて完成形を見せたように思えます。
ここまで来ると、熟考する&思考するという行為が、より簡便で野生的でかつ本能に従順になった言葉にシフトしてきます。
考えずに吐く、時間をかけないから配慮が行き届かないミスが増える。同業他社やスクープ会社に揚げ足を取られるのも一瞬。拡散するのもあっという間。
世の末を思考する
確かに便利のお陰で時間はつくれた。しかしつまらないものに奪われているように思えます。今あらためて思うのは、あて先や季語や、お金、時間をかけながら排出した言葉は偉大だったということ。
思考時間が短いがために一言一言が軽くなる一方で、道具や配信ツールだけは一流に進化、子供でもゼロ円で全世界に一瞬で届けられる機能は、一流の武器になりました。
命に関わるリスク
健康診断は消化器系(便、尿)と血液だけを検査すればいいと玄人に知られるように、血液の流れは本当に大切です。
だからこそ、人間が考えなくなる=血流が流れない=病気になるという考えを持っています。考えすぎですか?(笑)