命をもらったのは何かの使命があるから と2年囚われたり、難破して10日以上遭難したり、教え子に裏切られたり、今回のパウロが通った伝導の道程は、恐ろしいまでの意思の強さを感じさせてくれます。やはり心貧しきものは幸せなんでしょうね。
自我を自分で守っている人
堕落した人間の魂は、悪霊の影響を受けるときがあるが、自我で誘惑に勝って、善で生きることが出来る。ただし瞬間的に悪霊支配がおこることもあり、悲しみの中や、衝撃を受けたときなど弱っている際は危ない。
悪霊は獲物を探すライオン。
悪霊に支配されかかった自我
自我が弱くなったときを狙われ、悪霊にハンドルを握られた状態。意思、感情を奪われ、意識がない状態。完全に奪われていない分、自分の考えだと思っている。これが周辺を苦しめたり、悪い考えが絶えず、頭の中に続いている状態。
聖霊で生まれ変わって、悪霊から自由に
聖書の中で誠の自由と喜びを回復できる。愛、喜び、平和、真実、親切、善意、誠実、柔和、節制を結ぶ人生を生きられる。キリスト者の誠の自由とは罪からの自由、悪霊からの自由。つまり神の期待する行いをする人である。
所 感
高知東生氏や、清原氏の薬物での逮捕を見ていると、本人にこの悪霊がついていると思わざるを得ない行動ですね。家族や業界、そして自分自身をも傷つける。
今回の聖書の部分、神道では剣にあたる志、仏教では発心にあたる修業前の準備にあたると思います。
本来、思い描いた理想にひたすらに向いていれば、おかしくなることはありませんが、ちょっとした心の隙間が、広がってきて、そこに魔が入ってくる=魔がさす ということを言います。
だからイチロウは毎日バットを振るし、神道では水で清め、禅宗では邪念を振り払おうと只管打坐をする。仏教では血液の関係で女性は悟れないというのはノイズだと思いますが。
人類誕生から何千年か知りませんが、人間が陥ることはおなじ。
しかし、ここまで人間をおかしくさせるのは、やはり魔は存在していると いうこと。もっとも、こちらのいう魔とは、タバコのニコチンや、麻薬の依存性のこと。そして体に不要な砂糖を、ひたすら継続して求める行動も同様です。ニコチンや麻薬成分は、脳を支配し、自身のコントロールが効かなくするといいます。(国やメーカー、役所の儲かる仕組みも組織の依存症。でもタバコは医療費があがり過ぎて四苦八苦) 最初は本人が悪くても、そのあとは、その物質が悪いともいえるのです。そしてタバコは、煙を口に入れるための第一歩ですから、完全に最初のゲートがはずれ、ドラッグに行くハードルを低くしてしまう怖さがあります。 まさに腸の悪玉がセロトニンを減少させ、脳をコントロールして、引きこもりやうつなどをおこすのと同様、宗教でいう悪霊は本当に目に見えるものなのかもしれません。 |
そして悪霊=サタンは教会の中にもいるということを今日、まざまざと思い知らされた次第です。