病は自分と向かうための警告でありスタート地点

写真 2015-10-24 13 50 37大小はともかく、誰かしらなんらかの病気をします。うっかり薄着で寝て風邪をひいたり、老眼で目が見えにくくなったり、耳が聞こえにくくなることもあるでしょう。

みんな、それぞれの範囲の中で、在りし日の健康を思い出しながら、ある人は久々の休憩を楽しんだり、回復後を思い描きながら、早い復活を望んでリハビリをします。

 

究極を経験した人達

写真 2015-10-26 19 46 57一方で癌末期などの大病を克服した人、急な両親の介護で往生している人、数万人に一人という不治の病に立ち向かっている人、両腕を失ったけれど元気に絵を描く人、絵を描くことで精神の病を克服したデザイナーなど、究極を経験した人に会って感じたことがあります。

一見、すべての人がハッピーエンドには見えないかもしれませんが、共通項がありましたので、メモ的に、文章にして残しておきます。

 

病はプレゼント

病気は嘆き悲しむために、起こるのではありません。貴方への警告やメッセージが込められているのです。

偏食や暴飲暴食、無理な行い、様々なプレッシャー、自堕落な生活、不衛生な行い…けっして重病を告げられて終わりではなく、すべての始まりなのです。

だから素直に原因を探り、見つめ直し、対策を求めるべきなのです。

そして治ったら二度と起こさない様、自らをいたわるべきなのです。

 生きるとは何か、余命を知った今 何をしたいのか、などの究極の自分探しや、自らの役割を感じる人もおられます。

医者と薬は対処療法であり、暫定対策なのです。話し相手にはなっても、貴方を守り続ける免疫にはなりません。自ら起こした病は自らの力で治せるはずなのです。

そして障害は越えられる人にしか起こらないのです。

自分で在り続けるために。ご先祖から受け継ぐ身体の遺伝子をおだいじにをすべての人に。

コメントを残す