武士道 定義の変化

写真 2015-04-02 22 48 14

武士道という言葉の意味はなんとなく解ったつもりで、わかっていない気がしています。それは、変化したから?!かもしれません。

 

かつての武士道とは

武士が自己および一族や配下の発展を主眼に置いていた。主君は家臣に活躍する場を与えて正しく評価することが当然とされ、一方で家臣は名誉を頂く。

私をうまく活用しない主君は見限ってもよい。という個人戦闘者としての生存術が一般だった。だから主君を何度かえるかは、自慢にすらなったという。

源平の世の中はまさにここであろう。ある学者の言葉を借りると、武者は武闘好きの犬畜生であり勝つことのみが存在理由だったに違いない。

 

武士道が変化してゆく

しかし江戸時代に入り、やがて行動規範としての武士道に変化する。

主君への忠臣はもとより、親孝行、自らを厳しく律し、富よりも名誉を尊しとする。

それがさらに発展して、山鹿素行 「職分論」の思想では、この概念が、つまり武士道が、国家安定のための刀に変わってゆく・・・己への戒め、社会へ何を為せるか、国家への責任を持つ。

一方で藩の倫理と天から与えられた倫理が衝突した場合は、天倫を選択するべしと説いたから、危険思想と言われる。

山岡鉄太郎(鉄舟)の武士道では、毎日、丁寧に死にきって、翌朝、反省と新たな天命を知り、実践をする。命を無駄にしない、日々命を新たにする という思想は、真の武士道を完成形に近づける。

つまり、実践に主体を置き、後悔ではなく反省を持ち如何にして身を処し、如何にして学び取ってゆくか・・・という考え方

 いずれにしても、昔は、自分を活かすため、それぞれの武士道を全うできていたに違いありません。現代、中枢にいるはずの政治家、役所など政(まつりごと)に関わる人たちのスキャンダルや偏った言動・行動をみて、はたして最初の武士道にさえ劣っていないのだろうかと、自身も含め反省してしまいます。

 

コメントを残す