貞観政要 P.567-595

京都勉強会での読書感想文

<解説> 太宗のイミナ、文字を避ける

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イレギュラーを採りいれすぎると、元が解らなく意味が変わってゆく。
聖は本来、日を知る 「日知り」 だったように・・・

 

<二章、四章>
父母への拝礼、僧尼、道師であっても拝礼せよ

<第五章>
[氏族志] が完成

ーー>いくら 文字の国だとしても、LGBT法案の如く、感覚的なものは正解がなく、司法が混乱する。明示化、ルール化してはいけないと思う。

ブランドや 一定ルールは必要だけど、、最後はその人個人を、しかも観える人がチェックしないと何ともならないのだと思う。

 

先週日曜日に、人生二度目の住吉大社に行きました。

ここは安全祈願と、ケガレを祓う場所であり、和歌の神 とった文化的御利益がるようで。(万葉集には住吉を詠んだ歌が40首余りある)

遣隋使や遣唐使の航海安全を祈願し船出した 住吉(スミノエと呼ぶ)が描かれていました。

(住吉は古来シルクロードへの出発点として海陸両方で交通の起点であった。
古代のシハツミチ、中世の熊野街道、近世の紀州街道と、古代人の歩いた道が今も、人々の生活道路として生き残る。)

大海神社には、豊玉彦と豊玉姫が御祭神、玉の井(井戸)に沈めたと伝えられる潮満珠がある。

潮の満ち引きを扱い、ケガレを祓えば、航路の安全は確保されるのは当然。
日本は、本当に理路整然と全体の違和感なく、筋が通っている。

だからこそ中国に学びに言った人達は、??も結構あったと想う。
学びもあるけれど、あきらかに民族が違う。他を知り自らを知ったのだと想う。
あらためて微に入り細に入り 契約社会の如く、自ら手足を縛る

 

神道のそれとは異なる。

全てをありがたく持って帰るより、知識として知って独自の者に作り替えるという聖徳太子の凄さを知る。

ガイドの人に教わったのは、

四箇院の制(しかいんのせい)

  • 敬田院(寺院 学校)
  • 施薬院(薬局)
  • 寮病院(病院)
  • 悲田院(社会 福祉 施設)

これらは現在も存続している。

四天王寺病院
四天王寺学園
四天王寺福祉事業団

参考
https://www.shitennoji.or.jp/shotokutaishi.html

冠位十二階では

士族毎に定められた姓(大臣、おおむらじ)などの世襲制から 才能・功績に応じて身分の制定を行った

徳から智にいたる六つの文字に、それぞれ大・小をつけ、最も身分の高い者には”大徳”の冠を・・という具合に、十二階に対応する色の冠を与えて可視的な身分秩序を作成したのである。

あの時代に作ったもの全てが今も根付く。
何千年単位で先を読む 高尚な先人を持った日本はやはり過去の日本に、志を学ぶべき。

第十二章 倒した敵を詳しく描写してはいけない

虎の皮をはいで見世物にするのは、ダメだけど
なぜ闘いが起こったか、どんな戦術を使ったかなど、
学問として残すべき。

四天王寺にも同日行ったのですが、敵の大将 物部守屋(もののべのもりや)の墓を残す聖徳太子は偉大。
さらに能のように 悪者を蘇らせて供養をする日本は、捕鯨した母クジラの胎内のにいた子供の法要を今も行う日本人はやはり、違うと、改めて我々の日本のすごさ、重厚感を体験した次第です。

 

写真は昨日の京都

 

 

 

堅苦しい話になったので、松本人志、吉本、維新の闇動画。

全ては金儲けと スマートシティで移民大国へ


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