まさか堺町歩きのメンバーに誘われて
せっかくなのでジンバルとカメラをもっていった現場で、驚きのシーンに出会いました。
映像は編集中にて後日アップできるかと思います。明らかに古事記での正当な筋のようなのですが、国も認めていない天皇がいらっしゃって,宗教上 大げさに言えないから大王として祀られている。
まさに、かつて京都も荒れ地で、奈良も人が住み始めるころから、この土地は栄えていた。
枚方でもあった宿場町が、ここには、もっと古い宿場町があった。
あの当時、港を制するものが国を制す!
当時、瀬戸内海を納めていた人達は 京都にも、九州にも、琵琶湖を通じて海外にも出かけたわけで、まさに人々との交流の証が「はにわ」であり、モンゴル「すもう」であり、異文化コミュニケーションがあった
相撲は日本の国技ですが、ユダヤから東にモンゴルや韓国といった風に相撲文化は全世界に広がっている。
まさに世界が自由に往き来していた時代に、この場所は 国際交流の場所だったことが見て取れます。
何よりもとても保存状態が良い形で 土器や高度な日本最大のはにわが、レプリカでなく、本物が展示されているのが驚き
藤原鎌足の墓が見つかったということで、伝説の場所が、リアルに確定した。
こんな身近に歴史上の人物、官僚のトップのお墓があって、しかも沢山周辺に墓があって、それらはマンションなど向けに壊されていった。結果、残念ながら、歴史として知っているものがほとんどいない。
まだ大阪城も海の中だった時代、古代の人達は何を思い描いていたのでしょうか
とくれば、動画にして良かったと思った次第です。
あらためてぞろぞろと、大勢で歴史散歩したわけですが、この町歩きシリーズは必須ではと。
ずっとカメラを回すのは大変ですが、それでも歴史解説付きで、足の疲労と,そのときの鳥の声や、今回は鮮やかな藤棚があったり、宿場町の跡地が見えたりと、とても深く歴史文化が頭に残るわけで、年表を記憶するだけの歴史教育と比べて圧倒的に優位に頭に残ります。