傘がなくなった。
そう、あの時の奇跡の傘。
普段、傘を持つ持たないは 感性お任せだから、空気の匂いや湿気、空色を見て天気予報はほとんど見ない。だから? 予期せぬ土砂降りに会うこともたまに?ある。
その日、喫茶店を出たら、そこは土砂降りだった。記憶が確かなら3ヶ月以上前の出来事である。思わず、喫茶店横の地下に駆け下り、居酒屋が立ち並ぶその奥のトイレに入る。どうしようかぼんやり考えていたら、トイレ前のゴミ箱にビニール傘が逆さまに 刺さっていた。
良い方のまさかが当たって、ほぼ新品の傘を手にした私は、その後、雨は予期していたかのような顔で、さっそうと 帰路に向かったのである。やはり私の中の奇跡の傘なのだ。
今日は最初から雨。何気にとった奇跡の傘。
銀行のATMで月末処理をした後、右手が軽いのに気づいて、立て掛けた傘を持ち帰るのを忘れたことを思い出した。15分後に戻るも、既に持ち去られたか、メガバンクの忘れ物コーナーに行ったかは知らないが、元の場所からは確かに消えていた。
出来ることなら、捨てられるのではなく、 誰かの手に渡り、用途をまっとうして欲しいと思う。人の出会いもそうだけれど、お金と同じように傘にも 天命があって、放浪癖のあるやつもいるのかもしれないし。
妄想をたくましくすると
これが因縁果なのかもしれない。いつも先生に習うその言葉は、ヒマワリの種が ”因” であり、土や水などが”縁”、そして大きく花咲せるか、途中で枯れるかといった結果が”果”
人に例えると、貴方は”**”をするための技能を持って生まれてきたが、やるべきことをやらない限り、磨かない限り、実らない。逆に縁によって大きくも小さくもなるということ。前向きに進化していれば自分の力量や過不足に応じて次々と新しいチャンスが訪れてくるというもの。ほんと奥が深い学びだ。
ちなみに縁起という教えは、善的に言うと、そのものであり、その時、所、立場に応じた行動が常に必要であるということ。
今をうまく乗り切れなければ、来年も好調ということはあり得ない。ピンチとチャンスは同じ。今の荒波から逃げても同じものがまたやってくる。
だから傘も 終わりを悟り、きっと新しい縁を求めて旅立ったのでしょう。って離れたかっただけ(笑)
画像は、感染症と戦う人たち。すばらしい縁で出会った国の宝。