昨日に引き続いて 写真集です。
小豆島の台風被害ですが、木が倒れてグチャグチャといった最悪の事態はなく、実が多少飛んだだけで、木は無事だったそうです。あくまでも契約農家さんの話なので、オリーブ農家さん全体の状況ではありません。
しかし今回の収穫目前の台風に関して感じたのは、自然の恐ろしさ。昔は田んぼにしても畑にしても、少なくとも全国民誰しもが自然に畏敬の念を持ち、豊作を願い、祈ったものです。
今では農家さんだけがその念を持ち続け、結果を受け入れる。それを家庭で迎える人たちは残念ながら、知らない世界として通り過ぎているような気がします。
だからそれを知らしめるために、大きな災害がおこっているという人もいます。それこそ神のみぞ知ることながら、やはり自然にはむかうような愚かな行為、たとえば人間だけが良ければといった生態系を無視した行為や、命を乱獲するが、食べきれず捨ててしまうといったことはあってはいけないと感じます。
祈りの国 バリ島ウブドでは米は年に3回も実るため、飢え死にする人はいないといいます。その感謝のしるしもあって毎日、アグン山に向かって祈りをします。さらに収穫祭は全住民が盛大に行います。
かつて多くの日本人が自然と共に生きていた時代に戻るのは難しいとしても、見えないものへの感謝と畏敬の念は常に持ち続けなければならないと同時に、実りは人間だけでするのではないと、思い上がりを見直さないといけないと感じた次第です。
つまりは田んぼは、微生物や、ミネラル豊富な自然の水、あい鴨や、ウシの力などなどの総力戦で稲穂をつける。だから何百年経っても連作障害がおきず毎年実るといいます。現代、肥料や動力は科学や機械に置き換わったものも多いですが、本来は生態系すべての合体作で出来ていたものを、より安全に確実に、楽をしながら、儲ける(遺伝子組み換え種子など)といった部分が少しづつ肥大化してしまったことがいろんな弊害を産んでいるような気がします。
特に健常者&時間がつくれる人でありながら、心や体に良い自宅の掃除さえも機械にしてしまう。坂道が厳しいからと体力ある若者さえもが、電気の自転車に頼る。さらには、ちょっとした待ち時間のぼーっとした時間さえ、スマホに奪われる。そう、天から何かが落ちてきて、悩みが解決したり、歌詞がうかんできたり、アイデアをひらめいていた創造時間さえ自ら無くしているような気がします。添加物だらけの食も含めて、いったいどこまで、人間は自虐的になれるのだろう(未来の病気を自身でつくっている)と怖くなります。
雨をもたらし、太陽光線を送る天候は、人間ではどうしようもない。天の意向が合わさってはじめて実るということを、あらためて知ることはとても大切なことだと思います。 |
ということで、第二段の写真です。