海の幸、山の幸
少ない資源だったから産まれた文化なのか、新鮮で栄養が多かったから少しでよかったのか解りませんが、玄米とみそ汁、漬物を食べていれば今の私でも1日13Km歩いても疲れません。
原惣右衛門と大石瀬左衛門の2名が、早かごで、江戸から播州赤穂にやってきたのはたったの5日。脅威でしかありません。650キロだから1日130キロを走ってきたという計算になります。
いくらお殿様のことといえど、死に物狂いを超えていますが、精神論+それだけ当時の食生活が良かったことは間違いありません。
日本人の食は世界に誇る
引き算と言われる料理法を採用する日本食。中国が新鮮でない食材をごまかすのに、チャーハンや麻婆豆腐にすることと考えると、さしすせそ の調味料だけで うまみを出せる食文化は神業。
もう終わりですが、オリンピックで勝つためにこの概念を取り入れたらよかったですね。
改めて以下の例をみても、日本人は良い食を必要なだけ食べていたから元気だったんだと解ります。
仮にウィルスや菌がやってきたとしても共生の概念と、免疫力が相当高まっていたから、化学などの技術がなくても、人間の知恵と経験で打ち勝ったとい言えます。
http://minohonosaru.com/shizensyokuji/sizennasyokuji.html
フランシスコザビエル戦国時代天文18年(1549)
「彼らは時々魚を食膳に供し米や麦も食べるが少量である。ただし野菜や山菜は豊富だ。それでいてこの国の人達は不思議なほど達者であり、まれに高齢に達するものも多数いる。」といっていた。
このときの日本人の特に天草の島民状態は素足で有ったことが記載されている。
天主教布教(キリスト教カソリック)のため来日(400年前)クラッセ(classe)「日本西教史」
「日本全国を一大道場といううも誇大にあらず。国民はよく戦闘に耐え、身長長大にして健康なり」
となって太古の昔より日本人は長命であったことが記されている。叉病気ひとつせず元気であつた事も記されている。
此れは日本人の米食に由来することが多くあるとにらみ古文をひも解きみてみると日本人が昔は二食だったことがよくわかる。