人間は生死の苦しみを逃れようとして生死に苦しんでいる Author mishita Date 2014年8月15日 Comments: Leave a comment 浄土真宗のお寺にあった言葉。 先祖供養は日本人として当然の行為だ。 自然と頭が下がり、手を合わせるのは体に流れるDNAであり、神道を持ち出さなくても自然な祖霊崇拝の行為だ。 靖国の問題で気になるのは、とっくに終わった話を持ち出して、交渉を優位にしようとする国と同時に、西郷隆盛がなぜ祀られていないかという内向きの不思議である。 この終戦の季節になるとみんな本質を求めず、まったくつまらない見栄や自己保身の言葉が虚しく感じる。 しがらみが一切ないお子ちゃまのほうが大人なのだ。 2014年のお盆が終わった。