ヴィーガン、ベジタリアンというジャンル

知人にベジタリアンになった訳を聞いて、驚いたことがあります。それは家畜を食べるために飼っていることに、可哀そうで耐えられなくなったからと。世界を見れば見るほどそういう概念が身に付くのも当然だと思います。

当然、世界まで広げると恐らく様々な意見があると思います。正解があるわけもありませんが、昔から日本人のものの考え方は、確実に循環するかどうかなのだと思います。

 

循環=続くということが真理?

かつて田んぼが何百年経っても連作障害が起こらなかったのは、山からのミネラル豊富な水をベースに微生物昆虫、カモまでもが農作業に関わり、最後に太陽や、実りの神さんも加わり一つの実りを成したからだと思います。これからは米作りでさえ、種を外国から買って、農薬指定量を使い切らないと賠償される農家の田んぼから、土地が壊れていくリスクも増えてきました。

牛は寿命で亡くなった後、みんなで命を頂いた訳で、日々食べるものではなかった。

少なくとも都会の子供が魚の切り身が泳いでいると思う教育も、人を活かす教えになっておらず循環しない、災害時は魚のとり方を知らず飢える。もちろん社会側がグローバリズムという名のもので、人間を従順な家畜化して、活かさず殺さず搾取し続けるというワクチンや健康診断や抗がん剤や消費税などキモイ流れも今風であり、循環型ではない。移民で途上国以下の汚い都市化したアメリカの惨状を見て、将来の日本を危ぶむ

結局、石油は枯渇寸前まで取得しても戻らないし、原発はもちろん、農薬や遺伝子組み換えなどケミカル・化学製品は触れるもの全てを破壊してゆく

やはり食についても生き方についても、ビジネスにおいても、確実にリピート頂き、感謝の念を持ち続け、真面目にコツコツと自分の分に向き合い、微生物含めて、生物全てで世の中の循環社会にしていくという気構えが必要なのかもしれません。

偶然見つけた動画、良いインタビュー仕事ですね。

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