京都山科の大石神社と岩谷寺

枝垂れ桜をきっかけに初の山科の大石神社にお参りに行きました。
神社内に祀られていたのは赤穂浪士に武器を調達した商売の神様 天野屋利兵衛さん。その存在を忘れていましたがなんと、大阪の本町橋に店を構えていたとのことで、歩いて5分で行ける距離でびっくり。

そしてなんと、その後立ち寄った岩屋寺さん、大石内蔵助がここに住んでいたことを知らず、恥ずかしながら行けてよかったです。義士達の面倒をみてくださっているおねえさんには、ご丁寧に一人ひとりの来客に事細かく説明をくださっているようでしたが、どれも興味深く知らないことばかりでした。(写真は清水寺と知恩院も混ざる)

  • 昔、遊郭で遊んでいたこともあったが祇園で遊んだわけではなく伏見だった。これは浄瑠璃の近松門左衛門により演出がなされ、それを基にして芝居小屋(現 南座)での演劇になったが近くの祇園に変えられた。(店の名前は実際の隠し文字が入っている)
  • 仮名手本忠臣蔵の仮名手本とは、いろはにほへと...のかなが47文字あったことからシャレた。
  • 大石内蔵助やその子、力が勉強した机が残されている
  • 大石内蔵助の金庫が残されていて鍵がないため300年弱開いていない
  • 赤穂浪士を赤穂義士と呼び名を変えたのは東郷平八郎
  • 勘九郎さん含め 15代目まで歌舞伎俳優が参っていた

まだまだたくさんありますが、昔の人はほんと粋だったのだと思い知らされます。
障子を春夏秋冬変えたり、落款で遊んでみたり、現代人は文化的に劣っていることは間違いない。便利は退化であり、戦わず国が自ら亡びる怖さも痛感した次第です。

また別途纏める予定ですが、急ぎ知りたい方は、東京泉岳寺や、本家 赤穂花岳寺にもない位牌47士の顔を模写した木造など忠臣蔵のお宝が眠る山科 岩屋寺へぜひ!(大石神社の裏側にあります)

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