畏敬の念を思い出す機会が増えている?!

地震の次は歴史的豪雨に襲われて。。。災害続きの日本の状況ですが、あらためて人間が自然に対してできることは一つしかないと思った次第です。

もちろんそれは 願い・祈り でしかなく、かつて人は生きるために自然に任せるしかない状況下で、豊作や安産やら含めて、神さんに命を預けていたことを思い出しました。

今は都会あたりから、非科学的に見えるものとは切り離されてしまい、やばい奴を集合させるカジノ法案が通ったり、頭の悪い息子すら役所パワーで大学入学させられますが、本来あった恐れや感謝や食で命を頂くといった考え方はもう主流でなくなって一部の農家や、被災地、災害対策を行う人たちにしか見えなくなったように思えます。

 

微生物は神さん?!

一方でバーチャルの代表であるYoutubeを開けば、ひたすら深夜にわたってソーシャルゲームや、バトルロイヤルゲームのドンカツフォートナイトのようなゲームで、プロも、アマも、ただの観戦者も自分の道を突き進む状況など目にしますが、目の前に繰り広げられるリアルな火災や水害、大勢の人が逃げまとう被災地を目にしてしまうと、ゲームがいろんな人に勇気や希望を与えるとっても、なぜか小さいものに感じてしまう自分がいます。リアルだからあたりまえですが。

微生物を少し勉強すると、人間の腸内には100兆個ともいわれる善玉、悪玉、日和見(ひよりみ)のルツボになっていることが解ります。食べ物を栄養とそうでないものとに分解し、肥満を防ぎ、老化を食い止め、癌や糖尿から身を防ぎ、便秘をなくし、不治の病を治す作用があるのですが、悪い頭で判断して簡単に服用した胃薬や便秘薬、抗生物質がこれを死滅させてしまう。治れば無料なのにリピートさせられる道を選んで、悪化させてしまうこともあるというから、なんだかなぁと思うわけで。

腸内細菌は自らの口から届け、補充すべきで、漬物とか根菜、納豆など、たいしてお金がかからない良質な善玉を摂らず、肉や甘いものばかり選んで悪玉化、薬の対処療法で病院行き。

神道では八百万神(やおよろずのかみ)と言われますが、人間の目に見えないもの=神秘的、スピリチュアルなものではなく、この目に見えないが存在する微生物は神の手であると確信出来ます。

まさに連作障害が起こらない田んぼの中にも、良い食物を作る土の中にも、たくさんの微生物がいるからこその技であり、とにかくもう一度、見えないものへ感謝と畏敬の念を持つ必要があることを、災害を通じて天から警告されているような気がしてなりません。(写真は昨日の三宮。普通しかなくて大変だったし、顧客先で打合せ中に退去命令が出た)

きっとそれを共存共栄というのかもしれませんね

コメントを残す