生中継 感想文

読書感想文を生中継するというのは、なかなかおつなものです。書いた本人が遠隔地でそれを聞いていてしかも同じ本を読んだもの同士がYoutubeLiveでコメントし合える行為は学びを深めるメソッドな気がしています。

ということで、月1回の読書感想文ですが、今回は「どうせ死ぬのになぜ生きるのか 名越 康文著(PHP新書)」でした。まだ前半ながら、とても読みやすく、仏教入門としても解りやすい内容になっています。

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やはり手書きは良いなぁ

なぜ生きるのか

結局のところなぜ生きるかを知るためには、日々学び、今を必死で生きるしか方法はない。単なる言葉による知識や理屈ではなく、現実を「ありのまま」に捉え、その中で生きていくため「力」。もちろん人ごとに理由は異なるが、様々な囚われが、自らを縛り、周りに迷惑を吐く行為であることに気づけば、人生はもっとうまくいく ことに尽きると思います。

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今感じた他人への怒りが瞬間に終われば害は少ないけれど、数年後は相手も反省・進化するかもしれないにも関わらず、しぶとく体の中に住み着けば、これは相手以上に自分へのマイナスダメージが巣を広げてしまう。水も時間も流れていくのだから自分の思考だけが 何かをせき止める必要はない

心を静めるために座禅をする必要はなく、今あなたがコーヒーを飲んでいるならその味や香り、産地などに想いを深めていくだけでそれに集中することが出来る。雑念を取り払うだけで心が落ち着く。そんな誰にでもすぐできる例が散りばめられた本でした。

 

以下感想を羅列。

タイトル:どうせ死ぬのになぜ生きるのか?

–>タイトルを見て、命も入らず名も入らず を、思い出しました。個人として考えると難しいテーマだけれど、会社、社業に、置き換えるとわかりやすい。

余談。なぜか、、大型書店3箇所で売り切れて、
なかなか手に入らない本でした。
p.31
しかしカウンセリングに、訪れる人たちの「なんとなく空しい」「生きているのが辛い」…という悩みに本当の意味で応えるためには、僕自身が「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」という、問いに向き合い

–>真剣に答えるにはやはり、体験、または経験してでなければならない。特に人の命を、救う医者や、運命を左右する占いなど、方向を定める人は罪が深い。

p.35
真言密教の、重要な経典である「菩提心論」には「方便こそくきょうなり」…実生活の中で立派に振る舞い、周囲の人を幸せにしてゆくような行いのこと

–>自分のためではなく、相手のため必死で尽くすことが、自己を忘れさせるのかも。

p.47
人が継続的にやる気を出すのはどんな時か。
それは「本能レベルでの自発性」が刺激された時です。

–>発酵プロの先生によると、強制発酵させるものは、うまくならない。自己発酵はすごくて、ペットボトルの、せんを開けて、天井に噴射したり、冷蔵庫を開けるような、パワーがある。だから生きた酵素を食べると、エネルギーが、みなぎるのかも知れません。
p.49
そして、、実は、、仏教というのは、、この、「マイナスを埋めたい」という願いに応えることに全力を挙げてきた宗教なのです。、

–>ものや、サービスの販売も同じ。先の発酵同様、相手のお困りごと、マイナスを埋めたいといった要求に直接応えて行かないと、売れるものも売れない。
p.53
説明は体験を、縮小再生産させる…………行というのは、「自分自身が変化する体験」だからです。
–> 確かにそうかもしれません。人類は失敗を恐れるがために保険をかけるようになり、まずは、やってみよという人を信じることが出来なくなってしまったのかもしれません。

結果、、良いものを感ずる感性が失われてゆく。
最近は寒牡丹を見る客がおかしくなって、花が咲いてないと金返せという、、風情を楽しめる、つまり詩を書く人は、いなくなったと住職が、嘆いていた。

p.56
少なくとも、それぞれの業界で頭一つ飛び出す人は、
「言葉で説明できる限界」を、超える方法論を自分なりに開拓しているのです。

–>やはり宗教は背骨、生き方を強くする。

p.95
優先度を上げて、毎日続けよう

–>毎日続けてると落ち着くのは確か。毎日、朝の決まった体操を5分程度。また、30分ぐらいは歩く。決まったポッドキャスト(iPhone音楽)を聴きながら。起床直後は、極力ダラダラせず、腹筋、腕立てをやっている。土日は除くから中学生ぐらいから続けられてるのかも。^ ^
p.122
コーヒーの味はどんな味か、温度、香り、風味、舌触りなどを、「解像度」を普段の倍程度に上げて感じるようにしてみてください

–>確かにこれはわかりやすい。相手が人の場合、傾聴も関心も、いつも以上に絶対尊敬することで、相手もこちらに同調してくる。

p.122
しかし、しかし口において大切な事は相手の反応とは全く関係なく自分の発する言葉や声が自分自身の心や体にどんな影響与えるかということなのです。・・・というのも乱暴な言葉や悪辣な言葉は何よりも自分の心と体をかき乱すものだからです。・・・言葉と言うものには惰性がかかってしまいやすいので注意が必要です。
–>確かに人のブログやyoutubeで、全良な人には全良な読者が多い。やはり自身の評価は友達を見れば自ずと解るの様に、良くも悪くも自らが作っているに違いない。
p.124
人生を縛る因縁を断つ

・・・因というのは自分の中にある原因(怒りや相手を
操作したいという欲求もここに含まれます)であり、
縁というのは自分の外側にある原因(人との出会いや運命的な事柄と言う中に含まれます)で両者を合わせて因縁と呼ぶわけです

–>身も心も囚われるのはやはり自分を縛る行為。

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