死罪に次ぐ刑罰 島流し

古くから伝わる日本の刑罰の中で、死罪に次ぐ重罰だった刑罰は島流し

その中でも距離によって3つに分けられ、それぞれ近、中、遠と名付けられたようです。

写真 2017-08-17 11 09 47バスが1日4,5本しかなかったり、タクシーが最寄り駅に数台しか止まっていなかったり、運賃コストが5千円だったり大阪では考えられないことでも、現地は現地の事情・市場の原理が動いています。タクシー運転手によると昔は月100万売上目標に出来たぐらいバブリーな時もあったと話を聞いて、少し寂しくなった一日でした。

命を奪われるわけではないけれど、都会に慣れた文化人などが島流しにあったら、やはり住みづらいと感じるのは当然ですし、普段、人に命令し自分が何もしなかったとしたら、飯炊きから農作業など、初めて尽くしでもしそれなりの歳になっていたとしたら、発狂するでしょうね。

引用.海道龍一郎さん 花鏡(講談社)より
大宝元年(701)に制定された律令により、「苔ち、杖じょう、徒づ、流る、死し」という5段の刑罰が定められているが、その中でも流刑は死罪に次ぐ重罰とされた。

そして、、流刑もまた3つに分けられ、こんる近流は京より3百里(160キロ)、ちゅうる中流は560里(約300キロ)、とおる遠流はなんと、1500里(約800キロ)の地へと送られると定められた。こんるは越前や安芸へ、ちゅうるは諏訪や伊予、とおるは、伊豆、あわ安房、ひたち常陸などと、されていたが最も厳しいのは海を渡る隠岐と佐渡への島流し

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