知的唯物論 感想 第二弾

知的唯物論今月のテーマ、マンガから知の最前線までブッダの思想を現代に問う!というサブタイトルの難しい図書を読み終えた感想です。仏教はどんなに解りやすく書こうとしても、無理があると感じた次第です。

 

気になったトピックを列挙(一部加筆、変更)

  • 災害や自死で亡くなった遺族へ仏教者はどう答えるべきか?
  • 柳田邦男さん 日本人の信仰は祖霊崇拝であり、実りの神が山と田んぼを行き来する。
  • 林羅山、父母の恩を感じ仏教を離れる
  • 世俗の寺院化。
  • 宗教が社会に果たしている役割は、今生きていることを懐疑しつつ、自分の悩みをどう解決するか?
  • ブッダ 愛する者に会うことなかれ! 自己愛を抜く。心中の葛藤を表現したものが悪魔や梵天?
  • キリストは愛。罪は個人の欲求、永遠の命(愛の世界は永遠の意味)
  • 個をなしているのは関係であり、自我ではないのだ。おのれを一つの流れとして生きること。希少性さえ、枯渇さえ一つの流れであり、死さえ一つの流れとなりうる。
  • 単身社会ほど仏教の出番。キリスト教の恋愛、結婚路線はありえない。仏教は個我の生と死を中心に扱った方がニーズを掘り起こせる。
  • 無限の生や、無に帰るという、両論に囚われている限り、人は幸せになれない。
  • 戸塚ヨットスクールの話。自我にエネルギーが行かぬよう、手足に行かせる。

総 論

本書は、後半にきて、リアルな、現実社会の話になって初めて、わかりやすく面白くなってきた。案外戸塚ヨットスクールの話が解りやすかった。

写真 2016-06-25 14 39 56原産国インドでは小乗であるはずの仏教が、この日本では、聖徳太子時代に曽我氏が取り入れ、日本化された仏教になった。そして国全体が悟るために、これをどう使えるかを真剣に考えた結果が原点。

だから釈迦の教えがどうだったと探したとしても、意味がない。

あらためて宗教は大乗仏教的なものが真理だろうと思う。国全体が悟っている状態を目指し、大多数の庶民目線では、明日を生きてゆく活力にする背骨。

どの宗教を選ぶか論理性があるのはどこだと言うからおかしくなる。一部に矛盾があろうとも、響くところがあればそれでいい。そもそも言語に限界がある

 

改めて宗教は食文化に近い?

食は地産地消が基本だし、体にとって大事なこと。その地の人を冷やすための砂糖を、摂取しすぎたら冷え性になるのは当然。それと同様、宗教もその国のためのものは参考になってもDNAに染み込むまでは難しい、やはり自国の宗教が一番しみ込みやすいことも確か。

ということでは、愛を解くキリスト教に、共同社会のための儒教、個人を内に向かわせる仏教、神道などを同時活用すれば、もっと幸せになれるかも。

何れにせよ、学びの基本は、理論と実践がセットであり、かつ、現実社会の中で、今の問題を自分なりにどう解決出来るかに向かうべき。

 

社会問題

写真 2016-06-25 22 35 57地震の問題にせよ、少子高齢化医療費問題イギリスのユーロ圏離脱移民問題など、だんだん世界規模で考えるべきテーマを突き詰められる事象が増えている。

そしてスポットを浴びるのは、社会起業家とか社会貢献企業など、儲けることよりも社会にどれだけ良い影響を与えるか、貢献をしているか。タックスヘブン問題など違法でなくとも、税から逃げる輩には批判が出る

個人にしても課題が降りかかる。病は、特に癌すらも、あくまでもその人を殺すものではなく、生の結果の現象である。食の問題、精神の問題など、本人に、生活態度の節制など、問題対策に向かうことを伝えている。

善だ悪だ言うけれど、腸の中には両方混在が理想とされているし、共産主義がうまくいかないように、個人の欲が国を富まし、進化させることも無視できない。

纏まりがないけれど、とにかく迷った時に、基準として引用される教理、智慧の源なのかもしれない。

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