円を創った男 大隈重信(渡辺房男著)

佐賀は名産がないというが、大隈重信がいた。^^;

 

大隈重信を描いた同書をようやく読破

写真 2016-02-26 23 21 58これを読むと、刀や鉄砲振り回して、ドンパチ 荒々しい面々だけが維新ではなく、本当の意味での国を富ます政策が彼によって始まったのだと、良く解ります。

確かに幕府直轄領だけでは、収入はたかがしれている。しかも銀や金、米や、小判など複雑なお金の単位(材質、重さ、単位)のままでは、とても外国と貿易をし続けることは出来ません。

そして不平等条約は、国内の秩序や、国際取引での合理性を、外国へ示さない限り、解消交渉することすら難しいことは、容易く理解できます。

一方で、藩がお金を刷って外国と直接交易をしていた中、徳川から政権を奪ったからといって、すぐさま新政権に向かせることは容易くなかったでしょう。

 

そのエネルギーは何だったのか

描かれた言葉を引用すると、

  • 写真 2016-02-26 23 21 15朱子学一辺倒と、藩校 弘道館、藩特有の 葉隠の武士道に、我慢ならなかった
  • 円切替に伴う、贋二分金など人々の怒りをなだめながら、太政管札を正常に戻す荒治療
  • 札の印刷をドイツ、最後は国内とする大胆な発想
  • 国を背負うとはどういうことか。国を富ませること、近代産業をおこすこと。一方で国力の成長のみに日本の未来があると信じすぎた。
  • 新貨条例廃藩置県で政治体制の統一が完成。近代国家の完成
  • 円は維新直後まで続いた米の物納を終わらせ、租税徴収への道を歩み始めるきっかけとなった。
  • 学制発布、太陽暦採用、徴兵令発布、地租改定などの基盤をつくった。

とありますから、もちろん頭は良かったのは間違いありませんが、俺しかいないのでは?良い勘違いをすることが、パワーの源になったのだと思います。

 

お札にない?!

一方で紙幣の顔として、伊藤博文や福沢諭吉がお札に印刷されているが、大隈重信は何故お札の顔に登用されないのか。

どうやら、インフレの施金や、韓国への配慮という話もありますが、やはり佐賀。薩長という藩閥で固められたのだと思います。

 

彼がつくった最大単位 20圓

両側を鏡菊と、銅の紋章日と月を描いた錦の御旗。まさに神道を描いた図柄。困難があっても、正しき、やるべきことは成るということが解りました。それにしても33歳でここまですごいことを成すとは・・・。

後年の彼の評価はさほど高くないようで、最後は、自己の才能のみを信じるパターンで没落、信長同様、時代の落とし子だったのかもしれません。大久保利通や西郷隆盛など、維新を起こすところまでが担当で、政権奪取後の財政と金融のことまで考えていなかっただろうことを思うと、偉人であっても一生大活躍し続けのは無理で、人生はあるパートを成すため自身の役割を走りきるバトンリレーのようなものかもしれません。

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