忠臣蔵を知らない人もいるでしょう
しかし播州赤穂の人間としては、泉岳寺の他といえば、ここに来ないと話になりません。というのは建前でして、恥ずかしい話、まったく知りませんでした。
偶然、東京マラソンのコース上にあって、初めて知った驚いた次第です。近くを通った時に、無視するなと旧藩主に呼ばれたのかもしれませんね。
武士道精神と志
幕末後、廃藩置県や世襲性のない県知事制度以降、藩主のために一所懸命(一生懸命の前、武士はその地)に働いていた藩士たち。税収も金づくりも一か所で行われるようになって、次第に薄れていった武士道精神ですが、政治家含め、企業、個人と、それぞれが自分や自分達だけのことだけを考え、動き、纏まりがない今の時代だからこそ、思い出すべき精神があるように思えます。
そんな中、切腹前の歌とともに、季語であるサクラが隣に置かれていて、江戸時代に起こったことを今も言い伝えてくれるのは、やはり事件が起こった場所ならではのこと。とても嬉しく思います。外人さんには??でしょうが。
現代において、完全ではないものの、我々のような一般人には言論の自由が広がり、安倍総理がどうのこうの、原発再稼働反対、沖縄問題けしからんなど、御上に物申すということは、さほど問題がなくなりましたが、当時はとにかく命がけでした。
主君の仇を討つ というと聞こえがいいですが、現代風にしたらどうでしょう。社長があらぬ罪を国や他の企業に着せられ、法律で処罰される。納得いかない部下たちが、自分たちの家庭、家族を捨てて、仕事も捨てる。何年間もその法律の誤りを信じて、運動してなんとか勝訴する。正義は勝ちとったが金銭的見返りはなく、失ったものは何も戻らず将来は見えない。
やらねばならぬことがある
話が飛びすぎでもう原型をとどめていませんが、死ぬ覚悟で と言葉でいうのは簡単ですが、100%自ら死ぬことが解っている方向に向かう人の美しさとはかなさを、この地でしんみり感じた次第です。
真に美しいもの–> 人の心を打つ=お金をかけて出来るものでない
辞世の句
「風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとやせん」