誰かの日本人の不幸の上で幸せになりたくない

単一民族がどうこうではなく至極当たり前のことですが

他人を蹴落として自分が幸福になるという気持ちを保っている日本人は少ないかと思います。

外国から帰化したなんちゃって日本人が、政治家になって悪さをしていますが、本来の日本民族はそうではないと確信しています。

だから地球の裏側の不幸が自分のことのように感じられるし、喜びがあれば それも共有できる。
ずいぶん壊されましたが それをルール、法律でなく、肌感覚としてもっているのが日本人なのです。

で、これはやはりイネ文化の発祥時に、シェアした民族が残ったこともあるかと思いますが、やはり結局は自分に返ってくる。
天佑とか、天につばする といった言葉があるように、日本人はどこかで誰かが観ているという感覚を持っている。

だから社会を常に意識して行動することが自然と身についているのです。

 

今日、奈良に下見で行ったのですが

せっかくなので朝早く起きて、奈良公園に紅葉撮影に出かけました。

大宮でのイベント会場に向かうバスの中で、たった9駅のバスで12分も遅延があったのです。

その理由は奈良主要駅周辺の観光客バスのシステムを理解せず列に並ばず一円玉を入れようとしたり、タッチカードでエラーが出てるのに出ていこうとするなど、あまりにも基本ができていない人達が同じバスにいて、驚くほどの遅延とともに、運転手の言葉が強くなっていくことがわかりました。

聞くと、これは毎日のことであり、かなり精神的に病んでいる大プレッシャー下に運転手が置かれていることがすぐに解りました。

観光立国という宣言をするのは簡単

ですが、このまま弱いものの上になりたつビジネスは絶対に成り立たない立場の弱いコンビニ経営者を本部がいじめ・搾取するのと同様、持続可能どころか、事故やトラブルが起こることが簡単に予想されます。

改善策としては、2人体制にするか、それなりの英語力を運転手に義務化させるか、不良外人向けに遅延無関係の特別カーを走らせるかなどしか思いつきません。

あらためて観光を支える人達が本当に凄い現場で戦っていることを眼のあたりにして恐縮してしまった次第です。

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