維新と戦った男

維新という言葉

前政権のすべてを悪として壊す西洋の革命と異なり、良いものを残して新しいものを作る温故知新そのもの、とても良い言葉なんですが、まさかの政治団体の名前に使われて、汚名を残してしまいましたね。ハレの日も晴れ着詐欺で、変な印象を植え付けましたが、本来はハレとケで、日常と非日常を使い分ける節目として人生を引き締めた素敵な日本の風習・言葉なんですが、お気軽に汚してほしくないものです。

ということで、明治維新と戦った大鳥圭介(伊藤潤著、出版社:新潮文庫)という文庫本を買いました。まだ読み切れていいませんが、冒頭の維新そのものので、敗北した幕府方について囚われたものの、死刑されることもなく、新政府側でオランダ語、イギリス語の能力を生かして明治時代の礎になった人でした。

幼年期に祖父から四書五経を学び、オランダ語を学ぶため大阪の緒方洪庵を訪ね、徳川慶喜の前で郷里 赤穂の田植え踊りを披露したエピソードもある。近代化のパイオニアとされた明治維新後に日本の殖産興業などに貢献した大鳥圭介さんが亡くなったのが1911年というから、ほんと100年ちょっと前のことにとても不思議な気持ちが起こります。

特に播州赤穂出身で、四書五経に触れ、医療関連の仕事にも携わり、イギリスに関係ある人(日本人)との付き合いが増えていて、適塾の周辺もよく行っていて、閑谷学校も何度も見に行ったことがある私は、急速に興味が出てきました。

 

歴史の授業の在り方

弱い精神をもった人間を作るためのGHQ戦後教育のために、中身を年表を覚えるだけの試験科目にされてしまいましたが、やはり人物に焦点を当てて、興味を持たせて周辺を学ばせる本来のものに戻すべきと確信した次第です。可能なら自然豊かな風を感じられる場所での学びが最高!

先日枚方で、年齢バラバラの小学校生徒が集まる塾に見学に行きましたが、先生が6,7人いて、授業スタイルではなく、いつ来ていつ帰ってもよく、自身で学習して不明点あらばどの先生に聞いてもいいという感じで、皆が目を輝かせて、もくもくといろんな教科に向かっている姿はまさに、古き良い寺子屋はこんな感じだったのではと思った次第です。

そう思えば黒船が来航した以降の時代はそれぞれが国を想い、身分は低くても能力がある人間が政治に口出し、実力あれば上がれる仕組みが出来て、結果、優秀人材が多発した時代となったのは当然ですね。まぁ首相含めて責任取らない内閣は、良くない背中を見せているなぁと。(苦笑)

兵庫県上郡町 大鳥圭介ページ
http://www.town.kamigori.hyogo.jp/cms-sypher/www/info/detail.jsp?id=6717

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