さぁ、たこ焼きを自分で焼いて食べたのは はたしていつのことか?
根っからの大阪人ではなく、生粋の兵庫県人(赤穂人)としては、少なくとも私周辺の人間は、お好み焼きもたこ焼きも含めて、世間から思われるほどの頻度で粉ものを食べているわけではありません。
だからMY鉄板をたくさん所有していたり、屋台顔負けのまぁるいたこ焼きを量産できるわけもなく、ひっくり返す手際が良いわけでも、小麦粉と卵と出汁との配分を暗記しているわけもないのです。
だからその手の儀式には緊張感たっぷりになるのですが、よくよく考えるとすっかり健康志向になってソースやケチャップという、糖分たっぷりのエキスは極力出会いを避けていましたから、久々に花に突入してくる香ばしい匂いには、ちょっぴり食欲をそそられてしまいました。
おそらくきっと間違いなく、粉ものの出生は、簡単で美味しく、かつ余った食材を無駄にしないリサイクルの概念が起点だと思いますし、だからこそ、ソースの味で多少、まずくても丸め込む力があるんだと、どうでもいいことに真剣に思いを馳せてしまう自分がいます。
もっとも明石焼きというものは、少なくても多少のソースはつけたとしても、つけ麺の様に、出汁にどっぷりつけて食べていたから、この手の誤魔化しは効かず、タコの鮮度や、出汁、焼き加減含めて、真の味を追求しやすいのかもしれません。
思わずたこ焼きを食べた勢いで1時間ぐらい歩いて市内を散歩したら、幼少期に親戚と遊んだ懐かしい公園の前に出てきて思わず、タイムスリップを味わった次第です。そういえばたこ焼きを最後に焼いて食べたのはきっと3年前ぐらいでしょうか。(笑) |