人生は長いようで短いのは気の持ちようか

kujaku2大腸がん末期など治らない病を患ったわけでも、感傷的になったわけでもありません。乳がん末期でも医者が諦めた難病でもたいていの病は治る治療法を知ったからもう動じませんし。(笑)

学生時代はあれだけ暇で暇で、日々何をしようか悩んで、結局無駄時間をテレビで使うような生活をしていて、何も残っていないことを思い出すと、テレビ局に無駄時間を返してほしいという気持ちになるから不思議です。自業自得だけれども(笑)

とはいえ、学生時代の多くはコミュニケーションと飲みにケーション。つまらない議論で徹夜したり、合コン好き仲間との活動や、下宿仲間とたわいもない話をしつつ、結局は二輪車に多くを費やして充実していた気がしますが・・(笑)

 

時間がないのは気の持ちよう?!

とにかく40歳も後半になってくると何をするにつけ、時間経過が早くなっていると感じています。恐らく死に近づくにつれ、経験からやることは明瞭に解っていながら体がついてこないなどの理由で、作業の要領が悪くなったり、また急がば回れを知っているからこそ、丁寧にしすぎて時間がかかるのかもしれません。

もっとも、定年後は悠々自適に南の島でのんびり という人は、最初は良くっても 次第に余り余った時間に対して後で後悔するでしょうから寂しすぎて早死にするかもしれませんね

師匠と話しをしていて、俺もいつ死ぬか解らんから今のうちに学べるものを学べという言葉を聞くと、身が引き締まります。それと同時に、全力で吸収しないといけないと思いつつ、自身の記憶力の悪さを憂いながら身の回りに見つけた紙に、アドバイスを書きなぐっている自分がいたりします。

kujaku1そうか、ひょっとすると、幼いころは自分のことしか考えなかったことが、学生時代に友人、恋人に、社会に関わりだしてから、家族や会社に視点が移り、やがて個(俺が俺が)がなくなるにつれて、地域や関わる業界全体のこと、そして国へと公を考えるようになるからなのかもしれません。つまりは問題解決の対象が大きくなりすぎて、そもそも時間が足らないと感じるのかもしれません。

人々のライフにインパクトを与えたいと、会社を立ち上げて10年が経ちましたが、高齢化、健康問題、感染症問題など社会は大きな問題で溢れています。自身のサービスでどこまで立ち向かえるか解りませんが、偉人の知恵と天の智慧を借りつつ、要領よく(力を抜くという意味ではなく)、残る人生をさほど大きくない翼を広げ、最短で駆け抜けていければと感じています。

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