宗教の教えを深く学ぶ

現生利益をもとめる新興宗教やカルトは別としても、ベストセラーといわれるキリスト教、仏教、神道、四書五経といった古き良き教えは、困難はあっても現代に脈々と続いています。

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続くという意味

とにかく続くということは、信徒に支えられ、布教活動というのか、教化活動なのか知りませんが、新たな信者を募るというプロセスを繰り返し、さらには信仰が人を生かし国づくりの一環を担う部分は税金を免除するといった断固残すべきという強い志と支えがあるからなのです。完成されたものが宗教なら発展するという言葉は合わないような気がしますね。(法然と親鸞は発展の関係?)

それぞれを細やかにみていくと、異なる点があるものの、解釈だったり手段の違いだったりで、結局担っている部分個人の救いだったり、愛だったり志の作り方だったり、国づくりに繋がる祀りの延長だったり、なにせ何千年も続く宗教にはこういった力強さが確かにあるのです。しかし最近は、少し弱まっているように思えます。これは地獄の沙汰も金次第ではなく、伝える人の不足に違いありません。

 

Amazonでお坊さん派遣

スケッチ坊さん派遣が3万で出来るのだったらもっと安いところが出たら、そちらに行くのは当然です。迎え撃つ方がたたりがあるとか、葬儀はそういうものでないと曖昧に言うから、余計おかしな方にいくのであって、やはりこの人は尊敬できる、憧れる、行動に納得できる、感動する、惹かれる何かをもっているなどその対面するその人そのものに共感しなければ、興味がいくわけがないのです。

ということは、結局、そういう教化する立場の人は自身の修行だけでなく、宗祖の思いや願いを困っている一般人に伝えていく責任を担っているといえます。キリスト教では油注がれたキリストではなく、天になると思いますが。

 

神道ではなく靖国道

ちなみに神道だけが道がついていますが、これは祖霊崇拝、つまり祖先道であり、それぞれ個人が生き方そのものを問い、進んでいく行為こそ道を行うことに他ならないからです。まさに先祖を敬い先祖の夢を継いでいく行為そのものが神道の基本です。

その視点では靖国神社というのは残念で、天皇が祖先に手を合わせることを遮り西郷隆盛など国に貢献した人を外すなど、つまらない学閥や会社の勢力争い同様、長州閥マンセーにしか見えず、世界から日本をわざわざ孤立させ、毎年敵を作りニュースでにぎわいを見せるという、ある種 神社拝観させるための広告宣伝みたく本当の神道とは異なる道を歩んでいることが解ります。個人として参ってきましたと誇る政治家も・・(笑)

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今日の聖書勉強会、先生が真剣に学び続け、神様の教えを真剣に学んでほしいという思いに共感し、配信まで行うことになりましたが、結局は宗教の名前ではなく、その宗教を伝えようとする人の力量でしか伝達できないのだと解ります。

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