勤労?!いや恵みに感謝しよう!

”勤労感謝の日” ということで、今日も元気に仕事をできることに感謝して仕事しよう

ではなくて・・・

  • 勤労感謝の日・・新嘗祭(にいなめさい)
  • 建国記念日・・神武天皇 即位を祝う紀元節
  • 文化の日・・明治天皇の誕生日 明治節

という風に敗戦後に、GHQによる日本人の精神弱体化と日本を嫌いにさせるための一環として、置き換えられた政策のようです。

 

本来は五穀豊穣への感謝祭

bali2本来、勤労感謝の日は、本来は豊作を祝う日で、「新嘗」とはその年収穫された新しい穀物。天皇と国民が一体となって実りに感謝していた日だといいます。

父の日も母の日もあるのになぁと昔から違和感があった休日でしたが、やはりそうだったんですね。

 

季節を分ける節分。”節”という言葉は節目(ふしめ)ということで、ひと月に2日だけ、ハレの(穢れがなくなり神に会える)日があったようですが、それ以外はケの日、穢れ(けがれ)(気が枯れる)というメリハリがあったのです。

bali3いつの間にやら赤飯はご馳走ではなくなり、神へお供えなしに毎日 自分へのご褒美酒にご馳走甘いモノ! しかも添加物ニセ油で固められた偽物を体に入れる、等価交換ではなく搾取されている現実があちらこちらにあるから困ったものです。

そう考えると、最後の楽園 バリ島ウブドでは、収穫含めたお祭り群は盛大に行われ、未だにその昔ながらの教えがそのまま残っているように思えます。何度も書いているようにバリ=ワリはお供えの意味ですから、国をあげて自然の恵みに感謝する国だということが解ります。

引用。http://informationcenter-apa.com/kb_odalan.html

ニュピ(Nyepi)やガルンガン(Galungan)とクニンガン(Kuningan)の祭礼、満月(プルナモ=Bulan Purnama)、暗月(ティラム=Bulan Tilem)の儀礼、そして個人的には結婚式(Mesakapan & Nganten・Pawiwahan)、葬式(ガベン=Ngaben・プレボン=Plebon)、削歯式(ムサンギー=Masangih・ムパンダス=Mepandas)、子供の誕生日(Otonan)などなどの儀式などがある。
・・・
オダランの間、神々は寺院に降臨していると考えられ、村人は神々が飽きないように、また楽しんでもらうために、日夜美しい芸能を奉納する。神々は美しいものが好きだと考えられ、寺院は飾りつけられ、村人も普段より一段と着飾ったハレの姿で参拝する。

飢えることがないウブド。その訳は、今も変わることなく、神さんへの感謝を忘れていないからなのですね。

bali1一方でこの日本は、大事なものを忘れて、けっして貧しくない国なのに、政治は不正が絶えることなく、お抱え学者は平気で魂を売る。

その結果、貧富の格差が広がり、餓死すらあるという悲しい事故がたくさん起こっています。そして五体満足で働ける人が生活保護など税金に甘え続ける構図が生まれている。

 いろんな元凶の解決が、神への畏敬の念と感謝の心、そして信のコミュニティーなのは、間違いないのかもしれませんね。

 

コメントを残す