まだ完全に読み切っていませんが、阿部龍太郎著の「等伯」を9割読んで感じたこと。
- 謳歌を極めた狩野一門に一代で挑み勝ったのは、本人の努力は当然として、そのときの業界や日本に必要な役割、時代の子だったのではないかということ。
- 狩野永徳の父、松栄の業界のために動く心がなければ等伯が弟子化し、世に出ることはなかったことからも明らか。この協業が業界を一歩高めた。
- 昔も今も、時代や技術は変われど、人の心は根本的に変わらない不完全なものだということ。
- 縁はどこで活きるかわからない。欧米流のてめえの儲け心、計算だけで判断するのでなく、生きる道に照らして判断すべきだということ
- ありがたいのは、近い京都にその生きた証、過去に必死で生きた先人の宝が、拝めるということ。
ダボス会議に日本の宗教家が呼ばれるように、長く続くには訳がある。日本のお節も、箸や風呂敷といった柔軟な考え方も・・・
どこを切っても、意味づけがある深い日本文化は世界との交流の中で永続的ブームになるような気がします。
にしても、様々なジャンルで道は続いているんだなぁ。