本物のサステナブル は ずっと近くにあった

持続可能社会サステナブル

循環社会というなんだか 不思議な言葉をなんちゃってビジネスのために、訳も分からずキャッチコピーとしてのたまう人や企業がいますが、そもそも循環社会の基本は自然界に最初から備わっている。

なぜなら人間が何かをしなくても毎年同じ姿をみせてくれる、これこそが自然のサイクル。

それを原価の安い 化学肥料でぼったくりし、勝手に人間が悪玉認定した虫や草をやっつけるための農薬、恐ろしく高額なマシンを開発して 情報弱者から搾取する 企業が 自然をおかしくしています。

あらためて山に入ると、隣の農家に文句を言われることなく、雑草を堂々と伸ばして、それぞれ自然が一番良い共存する形で放置し、そこに一部人間が手を添える程度に関わるだけで、実りが得られることが分かります。

壊しているのは外資企業

あらためて西洋医療も農業も、工業も石油由来のもの、毒薬が多く、地球や人間が分解できない危なっかしいものを買わされ続けて、それこそが自然界を壊している。

それに気付くためには、無駄な知識、学問を捨てて自ら体験することが一番近道であることが分かります。

だから般若心経では 知識の自殺を訴えて 心の声 般若の知恵を借りろといっている

ということで、超がつく老木なのに恐ろしく巨大な夏みかんをたわわに実らせる木に感謝、そしてそのミカンの花の蜜を狙って飛び続けるクロアゲハを観ながら、何かの動植物に食べられたニンジンの葉に怯えつつ、自然の凄さを感じ続けている次第です。

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